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満を持して故郷の安曇野市美術館へ!「望月桂 自由を扶くひと」展

満を持して故郷の安曇野市美術館へ!「望月桂 自由を扶くひと」展

「望月桂 自由を扶(たす)くひと」-7月初旬からはじまったこの展覧会タイトルを見て「あの望月ね」と思った人は、とても少ないのではないでしょうか。現・安曇野市に生まれ、東京美術学校(現・東京藝術大学)で絵画を学んだ望月桂(1886-1975)ですが、美術史上にその名を見出すことは難しく、むしろ社会運動史の文脈で大杉栄を支えた一人として言及されることがほとんど。この展覧会は、そんな彼の作品や各種資料をとおして、これまで見えてこなかった人物像を炙り出そうとする意欲的な内容です。
2025年に埼玉県東松山市の原爆の図丸木美術館で開催された同名の展覧会に、新たに発見された作品も追加。“凱旋(がいせん)展”として故郷・安曇野での開催に至りました。

  • 写真:「望月桂 自由を扶くひと」展
  • 写真:「望月桂 自由を扶くひと」展
  • 写真:「望月桂 自由を扶くひと」展
  • 写真:「望月桂 自由を扶くひと」展

望月桂ってどんな人?

「望月は“アナキスト画家”と言われることもありますが、単純にアナキストと言えるのか、単純に画家だったのか……そう考え始めると、アナキズムとは何か、美術とは何かというところにまで問いが深くなっていくおもしろさがあります」

そう話すのは、望月桂を“発見”して「望月桂調査団」をとりまとめ、この展覧会のきっかけをつくったキュレーターで研究者の足立元さんです。

現在の安曇野市明科中川手で地主の家の長男として生まれ、恵まれた環境にありながらも、絵画を志して家出のように上京した望月。東京では、画家はもちろんアナキストをはじめとするさまざまな人たちと出会って多彩な活動を展開してきました。足立さんはそんな望月の歩みを概観して「生涯をかけて自由を追い求めた人」と表現。それを端的に示すのが、展覧会の冒頭で見られる相関図です。
そこに示されている「望月桂をめぐる人びと」は、一筋縄ではいかない彼の活動と人生が端的にわかるわかりやすく整理された、重要な資料です。

写真:足立元さん調査団代表で二松学舎大学准教授・足立元さん

足立さん
「望月を知らなくても、藤田嗣治や岡本一平は知っている人が多いと思います。彼らのような画家や漫画家が友人として名を連ねる一方で、大杉栄らアナキストや活動家の名前もある。藤田と大杉が同時に入ってくる図なんて、ほかではなかなか見られません。小説家の有島武郎や中里介山にしても、望月を中心としたネットワークだと名前が入ってくるんですよ。陸軍将校で初代・碌山美術館館長となった平林盛人。彼は旧制中学時代から望月の友人でした。この相関図を見ただけでも、美術の枠だけで語れない何かがありそうという感じがしますよね」

こうした交友関係もそうですが、芸大卒業後、画家にならず印刷会社を興したり、一膳飯屋「へちま」をオープンするなど活動の広さもあって捉えどころがなく、ほとんど知られてこなかった望月。ちなみに展覧会ではその「へちま」が望月の運命を大きく変える場となったことや、その存在自体が彼の“表現活動”であったのではないかと思えるような、興味深い作品や資料を見ることができます。

  • 写真:「望月桂 自由を扶くひと」展「へちま」時代を思わせる一角
  • 写真:「望月桂 自由を扶くひと」展若き日の望月が興した印刷所「大円社」での仕事も並ぶ

故郷・安曇野でわかったこと

さて、そんな「世に知られていないこと自体」が「望月のおもしろさです」と話すのは、安曇野市の職員で展覧会実現に尽力した塩原理絵子さんです。

「なぜ知られてこなかったのか、と逆方向に考えていくと見えてくることがあります」と話す塩原さんは、権威主義的な風潮を嫌った望月が、“画壇”で自作を展示・発表することを好んでいなかったこと、それによって美術界にほとんど名も作品も残さなかったことに理由を見出します。

写真:塩原理絵子さん安曇野市文化課の塩原理絵子さん

加えて、「郷里に戻っても“一住民”として生活し、周囲の人々に頼られていろいろなところで活動しています。そこも魅力でもあり、この安曇野で彼がどう生きてきたかを丁寧にたどることは、彼を知るうえで意味が大きいと思います」と続けました。

実際、望月桂調査団は2022年から安曇野に残る望月家の蔵を訪ねては、調査と整理・分類を重ね、丁寧にその活動をたどってきました。同展では、そこで発見された資料などをとおして、安曇野という存在が彼の人生を形成したさまが見られると同時に、長く行方不明だったり埋もれていた絵画や漫画作品もたっぷり並びます。藤田嗣治も参加した漫画雑誌『バクショー』など、現存数の少ない貴重な実物に加えて写真や当時の資料なども示し、さまざまな視座から「望月とは誰ぞ?」に迫ります。

  • 写真:「望月桂 自由を扶くひと」展
  • 写真:「望月桂 自由を扶くひと」展
  • 写真:「望月桂 自由を扶くひと」展『バクショー』1巻1号(1938年4月)に掲載された写真
  • 写真:「望月桂 自由を扶くひと」展金子文子を描いたスケッチ

望月を今につなぐ現代アーティストたち

「望月桂の姿は知れば知るほどその印象が変わっていく。この展覧会の意義は、視野をもっと広げることかなと思っています」と塩原さん。さらにその視野を広げる手助けをしてくれるのが、ところどころで見られる現代アーティストたちの作品です。

たとえば展覧会ロゴ・タイトルは、版画・絵画を手がける風間サチコさんが、会場展示デザインは、卯城竜太さん(Chim↑Pom from Smappa!Group)と稲永英俊さんが担当。また、会場のところどころで見られる、望月の友人・添田唖蝉坊による「わからない節」の歌が流れるアニメーションは、松田修さんの作品です。

  • 写真:「望月桂 自由を扶くひと」展
  • 写真:「望月桂 自由を扶くひと」展

これら、今を生きるアーティストたちの作品が何の説明もなく唐突に入ることで、望月の思想や活動が“過去のもの”ではなく、今のわたしたちと地続きにあると気づかされるのです。

実はアーティストたちも足立さん同様、「望月桂調査団」の参加者です。これまでも望月をめぐる調査や研究・考察を進め、その結果として展示にも参加しました。それぞれが“望月への興味”で自主的に行動し、集まってきた調査団のありかたは、望月がかつて結成した「黒耀会」に通じている気がします。望月の「黒耀会」も作家だけでなく社会主義者や小説家、劇作家や労働者などさまざまな立場の人が自主的に集まり、演劇をしたり音楽会や作品展を行ってきました。黒耀会展で発表された過激で挑発的な作品もまた、今回の展覧会で見ることができます。

写真:「望月桂 自由を扶くひと」展展示会のキービジュアルになった『反逆性』(1920年)

むしろ、ここからがスタート

望月の調査・研究を続けてきた足立さんが、望月をして「現代アートの源流にいる人物のひとり」と称するのは、そんな黒耀会の活動で顕著に見られるとおり、生活から表現が生まれ、生まれた表現を美術として実践することでまた生活に戻すといった、近現代アートに見られる循環や、「芸術を特定の人のものにしない」という彼の姿勢に、今のアートとつながるものを見出せるからかもしれません。芸術家もそうでない人も、みなが“表現”を武器に戦う。そんな黒耀会の活動は、表現で社会変革を目指す今のアートと重なり、現代アーティストたちを望月に引き寄せるのでしょう。

終盤の展示では、戦後に58歳で安曇野に戻ってきた望月の足跡に触れることができます。そこで亡くなるまでの約20年間は穏やかに余生を過ごした……かと思いきや、農地改革に挑んだり松本の女子高で美術教師になったり。相も変わらず目の前の問題に取り組み続ける彼の姿が見てとれます。

  • 写真:「望月桂 自由を扶くひと」展安曇野の風景も多く描いた
  • 写真:「望月桂 自由を扶くひと」展「絵画と各教科との関連性」をまとめた図

展覧会は、そんなふうにたくさんの作品・資料から望月桂の生涯を時系列的に追っていますが、それでもまだ整理しきれていないもの、手付かずの資料が多く残っています。

展覧会会期中は、ほとんど週末ごとにシンポジウムやトークイベントなどが開かれることから、同展をきっかけに新たな発見など研究が進む可能性は大。実際、開会前日には、これまで行方不明だった、金子文子を描いた望月作品が偶然発見され、開会してからは地元の方からさまざまな情報が寄せられているそう。現在開かれているこの望月展までを第1章とするなら、新たな知見が加わる第2章が、ここからスタートしたとも言えそうです。

取材・文:大輪俊江
撮影:横澤裕紀

令和8年度 夏の特別展「望月桂展 自由を扶くひと」
2026年7月4日(土)~ 8月30日(日)
開館時間:9:00~17:00(展示室入場は16:30まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は開館)
観覧料:一般520円、大学生・高校生310円

安曇野市美術館

安曇野市美術館
安曇野市豊科5609-3

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