木曽踊保存会 “なかのりさん町長”の心意気受け継ぐ正調木曽節
「木曽のナァ~なかのりさん、木曽の御嶽ナンチャラホイ、夏でも寒いヨイヨイヨイ♪」
の歌で知られる木曽節は、信州を代表する民謡です。
この木曽節を中心とした木曽地方の民謡の伝承と普及を目的に活動しているのが、木曽郡木曽町の木曽踊保存会。現在の会員は30人で、毎月1回の定例稽古会で練習を重ね、7月の水無(すいむ)神社例大祭や8月の「夏の広小路木曽踊り」などで一般の人たちと一緒に踊りを楽しんでいます。
定例稽古会の様子


木曽踊りとは
尾張藩の木曽代官を務めた山村氏がまとめた歴史書『木曽考』によると、室町時代の1434(永享6)年に、木曽義仲の霊を慰めるために武士たちが松明を掲げて山に登り、義仲の墓がある興禅寺(木曽町福島)まで駆け下って風流踊りを踊ったとされています。室町時代に流行した歌謡の中は「七月が来たら木曽踊りを始めよう」といった内容の歌詞もあり、当時の京都で木曽踊りが流行していたことが分かります。1834(天保5)年に成立した地誌『信濃奇勝録』によると、6月の「黒沢の祭の夜」や7月の盂蘭盆(うらぼん)に人々が道で「木曽踊」を踊り明かし、婚礼や仏事などでも「木曽踊」をしていたそうです。
民謡研究家の町田等は、これらの「木曽踊」は十数種類もあるさまざまな踊りの総称で、林業に携わった季節労働者たちによって各地からもたらされ蓄積された、と指摘しています。
福島宿の盆踊りは、かつては7月22日の水無神社例大祭から8月16日の送り盆まで毎晩踊られていましたが、徐々に縮小され、現在では水無神社の祭礼のほか、8月の4日間に「夏の広小路木曽踊り」として行われています。
興禅寺に残る木曽義仲の墓
興禅寺境内の「木曽踊発祥之地」碑
木曽節の誕生
さまざまあった木曽踊りの中から、私たちに馴染み深い現在の「木曽節」が頭角を現したのは、1915(大正4)年から27(昭和2)年まで福島町(現木曽町)の町長を務めた伊東淳(すなお)氏(1876~1942年)の功績がありました。
伊東町長は中央線が1911(明治44)年に東京から名古屋まで開通したのを受け、民謡による町おこしで観光客を誘致しようと考えました。そこで当時のお座敷や盆踊りで歌われていた「なかのりさん節」の歌詞とメロディー、振り付けを整えて「木曽節」として売り出し、自ら「木曽踊司」を名乗って指導にあたりました。教えた相手には「相許し候事の木曽踊」と記した免許状を出すといったユニークなPRで話題を呼び、木曽節の知名度を全国規模に押し広げたのです。地元の酒蔵中善酒造の日本酒の銘柄が「中乗さん」になったのも伊東町長の働きかけによるもので、彼は「なかのりさん町長」との愛称で親しまれました。
1943(昭和18)年生まれの荻上淳恵さんは保存会員としては現役最高齢。伊東町長の孫にあたり、生まれる前年に亡くなった祖父から名前の一字をもらいました。荻上さんの母は諏訪地方から伊東家に嫁ぎ、義父の遺志を受け継いで熱心に木曽踊りに取り組んでいたそうです。その背中を見て育った荻上さんは1995(平成7)年に入会。後継者の育成だけでなく100周年記念誌の編集などにも携わってきました。「昔の人たちはお盆になると夜が明けても踊っていたと聞いています。木曽節の踊りは単調だけれど、この年になるといい運動ですよ」と荻上さんはほほえみます。
伊東町長の孫、荻上淳恵さん木曽踊りは踊り手が輪を作り、左回りにゆっくりと移動しながら踊ります。12の基本動作でできており、それぞれに付く手の所作は御嶽山の稜線や山頂の剣ヶ峰、そこにたなびく雲を表すとされています。伊東町長は木曽節を完成させるにあたって何度も御嶽山に登り、その経験をもとに工夫を重ねたといわれています。
木曽踊保存会
木曽踊保存会は1918(大正7)年に伊東町長によって設立されました。1974(昭和49)年には興禅寺境内に「木曽踊発祥之地」の記念碑建立、1982(昭和57)年に伊東淳氏の銅像建立、2019年には発足100周年記念誌発行などを行ってきました。1961(昭和36)年からは松明行列と木曽踊りで木曽義仲をしのぶ「たいまつまつり」を開始。2011(平成23)年に幕を閉じるまで福島の夏を盛り上げました。
福島小学校に建つ伊東淳氏の銅像
免許状は現在も発行しており、通算枚数は30308枚に上る
小学校への出張指導も大切な活動の一つです。お膝元である福島小学校では運動会の最後に木曽節を踊るのが伝統ですが、2005年に4町村が合併して木曽町が誕生してからは、日義、開田、三岳の各小学校にも木曽踊りや木曽節の指導に出向くようになり、「正調木曽節」の輪がさらに広がりました。
保存会では2013(平成25)年からフェイスブックを活用して日々の活動の様子を積極的に発信しています。その効果もあって、地元の踊り好きな人だけでなく、塩尻、岐阜、東京、名古屋などから通う会員も増えつつあります。
木曽福島公民館主催「こどもいきいきクラブ」で教える様子(提供:木曽踊保存会)
名古屋城で行われた「尾張藩フェア」(提供:木曽踊保存会)
「日本一簡単な踊り、日本一難しい歌」
岐阜県可児郡御嵩町でクリーニング店を営む西田直樹さんは、現在4人いる域外会員の一人。幼少期に父方の実家があった旧木祖村で夏休みを過ごしていたこともあり、盆踊りで歌われていた木曽節には親しみがあったといいます。30代になってから郡上おどり(岐阜県郡上市)を見たのをきっかけに民謡にのめりこみ、民謡バンドを結成してボーカルを担当するまでになりました。そしてコロナ禍で郡上おどりへの参加が難しくなったのを機に、少年時代の思い出が染み付いた木曽節への思いが高まり、2022年に保存会へ入会しました。
岐阜県から通っている西田直樹さん「稽古会の日は、店を家族に任せて片道100kmの道を通っています。ぼくにとって木曽節の魅力はなんといっても歌。朗々としたところがいいですね。入会して3年以上経った今でも難しいですが」と西田さん。謙遜の言葉とは裏腹に稽古会では伸びのある歌声を披露しており、音頭取りとして大きな戦力です。
木曽節は「日本一踊るのが簡単で、日本一歌うのが難しい民謡」といわれます。踊りの動きは比較的シンプルですが、歌は高い音程の節回しが多いため高い技術が求められます。さらに屋外で歌う場合は声量や音の響かせ方も重要になります。
保存会長の越孝弘さんは「私が入会したころは、何年たってもなかなか音頭を取らせてもらえなかったです。今は人が足りないのでそうも言っていられませんから、歌いたい人、自信がある人には積極的に歌ってもらうようにしています」と説明します。現在、音頭取りができる会員は9人。2018年頃から女性も音頭を取れるようになり、今は2人の女性音頭取りが活躍しています。音程の高い木曽節は女声向きともいえ、声がよく通るためとても好評だそうです。
民謡は土地や人が変われば歌詞も節回しも少しずつ変わるもの。木曽踊保存会では伊東町長から脈々と受け継いだ歌と踊りを「正調」と呼んでいます。かつての木曽節は人の歌声と手拍子だけで踊っていました。現在は太鼓や三味線の伴奏が付きますが、保存会のそれは正調の伝統を踏まえた素朴な音付けが特長となっています。
数百の歌詞を厳選して
木曽節の歌詞は、「なかのりさん」「ナンチャラホイ」などの囃子言葉を除いた音数が7・7・7・5になっており、他の多くの民謡にみられる「甚句(じんく)」の形式にのっとっています。歌の内容は御嶽山や木曽五木などの自然を歌ったもの、男女の恋や盆踊りの喜びを歌ったものなどさまざまで、総数は300とも600ともいわれます。けれど歌の後半部分は他の踊り手たちが唱和するので、音頭取りもあまりマイナーな歌を出すわけにはいきません。保存会では2016(平成28)年に、よく歌われるもの100選を収めた歌詞集を発行しました。現在は、越さんがさらに選びぬいた57選が主に歌われています。
越会長が作ったテキストを見ながら歌の練習踊りの最初はおなじみの「木曽の御岳夏でも寒い 袷(あわ)しょやりたや足袋よ添えて」の歌で始まり、踊りを終えるときは「木曽で生まれた仲乗りさんが 可愛がられて都まで」で締めます。歌い出しが「木曽で」で始まるのはこの歌だけなので、他の踊り手たちに「これで終わりですよ」と知らせるサインになるわけです。また、一つの歌を歌い終えるのにかかる時間はちょうど1分程度で、時間調整がしやすくなっています。
ところで、木曽節の中に歌われる「なかのりさん」とは何なのでしょうか?民謡研究家の町田等によるといくつかの説があります。
①馬の鞍説
伊勢参りなどでは、一頭の馬に3人乗れる鞍が使われ、真ん中の席を「中乗り」と呼びました。木曽街道でもそうした鞍が使われていたのだろうという説です。
②筏(いかだ)乗り説
木曽の材木を搬出するために長い筏を組んで川を流すときは筏師が3人必要で、先頭の舳先(へさき)と後尾の艫(とも)の間に乗る者を「中乗り」と呼んだという説です。
③宗教者説
御嶽修験では人と神の間をとりもって神がかりになる修験者のことを「中座」と呼びますが、これを「中憑(の)り」とも呼んだという説です。
④木流し人夫説
これは②と③の折衷ともいえるもので、修験道の中座の配下にある木流し人夫たちを「中乗りさん」と呼んだという説です。
これらはあくまで説ですから、結論は出ていません。
それぞれにとっての木曽踊り
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◎越孝弘さん(木曽踊保存会会長) 私は家が広小路の近くにあるので、子どもの頃から夏になると夜遅くまで木曽節の歌声が聞こえていたのを覚えています。大人になったらあの踊りをやってみたいなと思っていました。
大学時代も社会人になってから、木曽出身ということで自己紹介がてら木曽節を歌おうとしてもうまく歌えなくて。これは本格的に勉強しなければと思って保存会に入ったのが30歳の時でした。当時の先輩たちはみんなそれぞれに持論があるので、歌い方や踊り方の違い、木曽踊りのいわれなどをめぐってよくけんかしていましたし、下手だと叱られたものです。「とんでもないところに入っちゃったな」と思いましたよ。
でも、木曽踊りは誰もが参加してゆったりと踊れるのが一番の魅力。今は稽古会でもお互いに教え合って楽しく踊れるような環境づくりを心がけています。
【好きな歌】
男伊達(だて)ならこの木曽川の 流れくる水とめてみろ
流れくる水止めてもみたが 止めて止まらぬ色の道
越孝弘さん -
◎平田正男さん(木曽踊保存会副会長) 私は18歳で東京に出てから、お祝いごとなんかでは耳で覚えた木曽節を歌っていました。60歳を過ぎて故郷に戻ってきたので、保存会に入らせてもらいました。8年ほど前のことですね。今は地元の旅館から外国人観光客へのレクチャーを頼まれることも多くなりました。外国の皆さんは覚えるのが早いしとても楽しんでくれています。逆に地元の皆さんの関心が薄いように思うので、ぜひ夏の踊りには多くの方に参加してほしいです。
【好きな歌】
わたしゃ木曽馬ちいさいけれど 登る坂道いとやせぬ
平田正男さん -
◎大島慎太郎さん(保存会最年少会員、1999年生まれ) 私は安曇野市出身で、木曽町役場に就職して最初の年の夏に木曽踊りを見て「素敵だな」と思いました。その後、地元の飲食店で偶然居合わせた越会長に誘われたこともあって入会しました。木曽節は面白い歌詞がいろいろあって、メロディーは同じでもどこを伸ばして歌うかなどが歌詞ごとに違います。歌は本当に難しくて、上手な先輩方に憧れて今も稽古を続けています。
【好きな歌】
お伊勢参りで飲んだる酒は 天の岩戸に湧く泉
大島慎太郎さん
一人の町長の熱意がきっかけで世に出た名曲、木曽節。稽古会では20代から90代までという幅広い世代が一つの輪になって、朗々と歌いしっとりと踊る姿が印象的でした。「正調」の伝統を受け継ぎながら、女性や域外の人たちも音頭取りとして積極的に活躍してもらおうとしている保存会の姿に、新しい伝統の形を見たように思いました。
取材・文・撮影:今井啓
参考文献:
町田等『信濃の民謡』1965年 音楽の友社
木曽踊保存会『木曽踊保存会発足一〇〇周年記念誌』2019年
中原ゆかり「木曽節の創造と普及―伊東淳の戦略―」『立命館文學』第683号 2023年3月
2026年夏の木曽踊りスケジュール
・水無神社祭礼みこしまくり
会場:広小路(木曽町文化交流センター前)
7月22日(水)21:15~22:00
7月23日(木)19:40~20:00
・夏の広小路木曽踊り
会場:広小路(木曽町文化交流センター前)
8月1日(土)、5日(水)、8日(土)、13日(木)
定例稽古会
原則として1月を除く毎月10日19:00~21:00に木曽町文化交流センター多目的ホールで行われています。一般の方も自由に参加できます。
定例稽古会の様子


興禅寺に残る木曽義仲の墓
興禅寺境内の「木曽踊発祥之地」碑
福島小学校に建つ伊東淳氏の銅像
免許状は現在も発行しており、通算枚数は30308枚に上る
木曽福島公民館主催「こどもいきいきクラブ」で教える様子(提供:木曽踊保存会)
名古屋城で行われた「尾張藩フェア」(提供:木曽踊保存会)
越孝弘さん
平田正男さん
大島慎太郎さん





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