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まつもとフィルムコモンズ 8ミリフィルムが、過去と現在をつなぎ、未来を映す

まつもとフィルムコモンズ 8ミリフィルムが、過去と現在をつなぎ、未来を映す

8ミリフィルムは、主に1960~70年代の高度経済成長期に普及した映像記録フォーマットです。子どもの成長記録や地域のイベント、祭りなどを収めたものが多く、“ホームムービー”として親しまれていました。しかし、見るには映写機が必要ということもあり、今では中身も分からず押し入れの中に眠ったまま…。
「まつもとフィルムコモンズ」は、そんな8ミリフィルムを募集。持ち込まれたものは調査・クリーニングの後、デジタル化して返却する一方で、映像にインタビューなどを交えて映画化する活動をしています。2022(令和4)年度は、クラウドファンディングで集めた資金と、信州アーツカウンシルからの支援、地元企業や個人からの寄付を受け、昭和時代に市民が撮影した松本の記録を「まつもと日和」という1本の映画として完成させました。

「まつもと日和」の監督を務めた三好大輔さん、「まつもとフィルムコモンズ」事務局で妻の祐子さん、そして今年度から代表を務める谷田俊太郎さんに、同団体の取り組みについて、拠点となっている「松本深呼吸」でお話を伺いました。

8ミリフィルムとの出会い、「地域映画」の誕生

東京でCMやMVなどの映像作品を制作していた大輔さんが、8ミリフィルムを扱うきっかけとなったのは友人の結婚式。披露宴で流す映像を頼まれて、素材として受け取ったものの中に、8ミリフィルムがありました。「娘をひたすら追っているお父さんの視線、そのまなざしのあふれる愛情に、涙が止まらなくなってしまって」と大輔さん。そこから、市井の人々が記録したホームムービーを残す方法を模索します。

まつもとフィルムコモンズ三好大輔さん

大輔さん
2009(平成20)年に、東京・墨田区にある企業のCSR活動で、地域に還元する芸術的活動を支援するプログラムに採択されて、地域に暮らしている方々から8ミリフィルムを集めて「8ミリの記憶」という作品を作りました。戦前から昭和50年代に至るまで、墨田区で撮影された大祭や七五三、運動会などの様子が収められています。僕がそれまでしてきたのはいわゆる請け負い仕事でしたが、初めて自分で考えて作り上げた作品。完成して、地元の神社で上映会を開くと、おじいちゃんやおばあちゃん、近所の人がたくさん来てくれて、すごく喜んでくれました。
その後、隣の足立区や、当時、講師として勤めていた東京藝術大学の東北のプロジェクトで岩手県大船渡市、福島県浪江町の映画を制作するなど、全国各地の記録を掘り起こして映画にする活動を展開していきました。

「まつもと日和」はインタビューや制作風景も交えた作品になっていますが、当初からこのような形で?

大輔さん
途中からですね。もともとは、8ミリフィルムを軸にインタビューをし、音楽はプロに依頼していましたが、映画制作の過程を地域の方々と共有していけるのではないかと考えるようになりました。その頃はまだ、制作過程はメイキング映像として別にまとめていました。制作過程も含めて一つの作品に構成したのは「浦賀の映画学校」(2020年)が最初です。浦賀小学校6年生の総合的な学習の時間として行った1年にわたる映画教室で、児童74人と取り組みました。フィルムの収集からインタビュー、BGMや効果音、ポスターなども自分たちで作る。「ホームムービーを残す」という活動に「地域の皆で作る」という形が加わったときに「地域映画」という呼び方が生まれました。

祐子さん
実際のところ、集まった8ミリフィルムを単につないでいくだけでは、なかなか一つの作品として楽しめないというのもあります。知らない誰かの“記録”を自分の“記憶”と重ねて見てもらうためには、編集が必要でした。8ミリフィルムという昔のことを記録した素材に、インタビューや音楽で今の人たちが参加することで、過去だけではなく現在のこと、「懐かしい」だけで終わらない、未来につながるものになっているのではないかと思います。

まつもとフィルムコモンズ三好祐子さん

「地域映画」から生まれる、世代を越えた対話の場

三好さん一家は東日本大震災を機に、東京から安曇野へ移住。2020(令和2)年には松本へ引っ越しました。そこで「松本でも地域映画を作りたい」という機運が生まれます。「8ミリフィルムを残す」、「皆で地域映画を作る」、その次のフェーズとして始めたのが、上映会と座談会を一緒に行う「8ミリ映写室」でした。そこでは地域映画を見た後に、車座になって「対話する時間」を設けます。そこに参加したのが谷田さんです。

谷田さん
私はフリーライターで、コロナ禍を機に、リモートでも仕事ができるということで30年ほど離れていた地元・松本にUターンしました。偶然、8ミリフィルムを募集していることを知り、高校時代に作った自主映画が手元にあったので、連絡をしてみたんです。その時に「8ミリ映写室」のことを聞いて、じゃあ行ってみようかな、と。

まつもとフィルムコモンズ谷田俊太郎さん

参加してみて、どうでしたか?

谷田さん
最初に感じるのは、ノスタルジーですよね。でもそれだけではなくて、集まった人たちが、それぞれの思い出を語るのが面白かったです。年齢層も幅広く、普段の生活だとなかなか交わらないような人と出会えるのも楽しくて。フィルムコモンズのスタッフには、県外出身の信州大学の学生も多くて、「松本のことが好きになった」「卒論のテーマに映画に出てくる地域の行事を選んだ」という話を聞いて、自分も何か手伝いたいと思うようになりました。

学生の皆さんは映画の中で、インタビューも行っていました。どのように取材したのでしょうか?

大輔さん
今回は345本の8ミリフィルムが集まり、ご提供いただいた方の中から8組を取材しました。まずは提供者ごとに学生の担当を決めて、それからデジタル化した素材を見て、どのシーンを使ってどんなインタビューをしていくかを考えてもらいました。インタビューで撮影した1時間ほどの記録を、5分程度にまとめる編集作業も一緒に行いました。そうすると、彼ら彼女らが選んだものが、映画の中に表現として残る。「自分がこのシーンを作った」という得難い経験になっていると思います。
インタビューの際は、できるだけ親子や家族で集まっていただくようにしています。東京や浜松、山口など遠方から、時には子、孫、ひ孫まで4世代がそろうこともありました。ああでもないこうでもないと言いながら、皆でにぎやかに見るシーンは、力強いですよね。本当に多くの人に携わってもらいながら、作品を作ることができました。

松本出身の映画監督・山崎貴さんが中学生の時に初めて撮った作品を皆で見るシーンもありますよね。

祐子さん
山崎監督が清水中学校3年生のときに友人と撮ったという短編映画「GLORY(グローリー)」は、ずっと行方が分からず“幻のフィルム”と呼ばれていました。今回、山崎監督の後輩が「父が撮った8ミリフィルムがある」と連絡をくれて、その中に一緒にあったんです。「父が撮ったもの以外にもう1本あって、これ多分、山崎監督のだと思うけど…」という話を電話で聞いていて、隣にいた大輔さんが「そ、それって、『GLORY』ってタイトルじゃないですか?!」って。

大輔さん
「よみがえる安曇野」を制作していたときに偶然、“幻のフィルム”の存在を知りました。8ミリフィルムを提供してくれた和菓子屋さんの店内に、山崎監督のサイン入りのポスターが貼ってあったんです。「山崎監督が最初に作った作品は、俺が貸したカメラで撮ったんだ」という話を聞いて、いつか見られるといいなと思っていたら、このような形で発掘されて。

  • まつもとフィルムコモンズ学生によるインタビュー
  • まつもとフィルムコモンズ8ミリを見るために集まった4世代の家族
  • まつもとフィルムコモンズ山崎貴監督を囲んだ「GLORY」上映会
  • まつもとフィルムコモンズ上映会には幅広い世代の市民が集まる

祐子さん
予想もしないところからどんどんつながりが生まれて、“松本の神様”が応援してくれているとしか思えないミラクルが次々と起こりました。
「GLORY」は、フィルムは出てきたものの音はありませんでした。音がないと映画として成立しません。慌てて調べてみると、当時、音響を担当していた方の実家が、私たちの自宅から徒歩数分のところだと分かり、すぐに訪ねました。ご本人は海外在住ということで、代わりに妹さんをはじめご家族が音源を探してくれたのですが見つかりません。結局、ご本人に連絡を取ってくれて、事情を話して探してくれるように頼んでくれました。そしてついに音源が見つかり、海を渡って送られてきました。
そしてようやく山崎監督を囲んで、当時の仲間や携わった人たちを集めて「GLORY」上映会を開くことができました。音源を探してくれた妹さんは「まつもと日和」の完成上映会にもご両親を連れて来てくれました。コロナ禍で外出の機会が減り、笑顔も少なくなっていたご両親が、見た後で「生きていて良かった」と何度も繰り返し喜んでくださったそうです。「1週間ほどずっと上映会の日の話をしていて、私も本当にうれしかったので、何かお手伝いしたい」とフィルムコモンズのメンバーになってくれました。

さまざまな人が携わることで「懐かしい」だけで終わらない作品に

「まつもと日和」は、インタビュー以外に音楽やアニメーションでも多くの地元の方が関わっています。
BGMとして使う「松本市歌」は1940(昭和15)年に制定された後、戦争が始まり歌う機会を失い、そのまま埋もれてしまったため、音源も残っていない“幻の市歌”と呼ばれていたものです。一緒に活動する信州大学の学生がゼミで調査し、作曲者直筆の譜面を発見。サウンドトラックを担当した市内在住の音楽家「3日満月」の2人が発掘された市歌を編曲し、大学生や信大附属中学校の生徒のほか、「小学5年生の時に音楽の時間に教わった」という90代の女性の歌声も録音しました。
アニメーションは清水中学校の美術部員が担当。チラシやポスターを手がけたデザイナー・イラストレーターの太田真紀さんが指導し、動きをトレースするロトスコープという手法を用いて制作しました。

音楽やアニメーションの制作はどのように?

大輔さん
「よみがえる安曇野」のときは、安曇野の遅い春を待ちわびる心を歌った「早春賦」というピッタリの歌があったので、松本でも何か良いものがあればと思っていたのですが、なかなか見つかりませんでした。「松本市歌」は学生との雑談の中で、たまたま知ったものです。
もともと、小中学生が何らかの形で参加してくれるといいなという気持ちはありました。そこで中学校の美術部なら…と考え、近くの清水中学校を調べてみたら、山崎監督の母校で、太田さんも卒業生ということが分かって、これはもうお願いするしかないだろう!と。

祐子さん
近所の方が「教頭先生を知っているから話してみようか?」と言ってくださって。私たちの活動を知ってくれた人、携わってくれた人の輪が広がって、つながりが生まれたと思っています。地域ならではの強さですよね。

大輔さん
ロトスコープは、太田さんが得意だということで、やってみることにしました。トレース作業は一人ひとりがコツコツと仕上げていくのですが、その1枚1枚の積み重なりが、最後は1つのアニメーションになる。普段、美術部は共同作業があまりないので、皆で作り上げるということが新鮮で、達成感もあったと思います。

  • まつもとフィルムコモンズ松本市歌を録音する様子
  • まつもとフィルムコモンズ清水中学校でロトスコープを制作

祐子さん
フィルムコモンズのメンバーの中には、2020(令和2)年度入学の大学生もいて、県外から松本に来て、「コロナ禍でどこにも行けず、誰とも会えず、家でじっとしているしかなくて、本当に辛かった」と言うんです。そこから私たちの活動に参加して、「失った学生生活を取り戻すことができた」と笑顔を見せてくれて、私も胸が熱くなりました。

そんないろいろなドラマがあって、よく1時間強でまとまりましたね。

大輔さん
最初は1時間以内と思っていましたが、編集していて「これ以上カットするのは無理!」となって、結局13分オーバーの73分になりました。

実際に上映して、どうでしたか?

谷田さん
反響は大きかったです。来場者のアンケートも満足度が高くて、感想もびっしり書いてくれたものが多い。言葉一つ一つの熱量が高かったですね。僕は当日、ホールの入り口で案内をしていたんですが、終了後に「ありがとうございます」と声をかけてくれる人が多くて。映画を見た後に、会場の人にお礼を言うことってあまりないじゃないですか。「懐かしい」という年配の方だけではなくて、若者も感動してくれている様子が伝わってきました。

祐子さん
移住者の方から「松本を自分の故郷にできる気がした」というコメントもありました。過去の映像を見ることで、今を生きる人たちが「松本を大事にしたい」「誇りに思える」と感じてくれたことがうれしかったです。映像の時代の距離感に衝撃を受けて、「なぜこれが失われてしまったのかを考えたい」という若い人もいて。自分の記憶と重ねて「懐かしい」というだけではなくて、次につながっていくような気がしています。

  • まつもとフィルムコモンズかつて松本城に児童遊園地があったと分かるシーンも
  • まつもとフィルムコモンズ「まつもと日和」完成上映会

地域の財産として活用しながら、次につなげる

昨年度は完成上映会を開いて終えたところだと思いますが、今年度は?

祐子さん
「まつもと日和」を貸し出して、いろいろなところで自主上映会を企画してもらえればと思っています。公民館をはじめ、学校、高齢者施設や病院などでも、見た後で皆で話せば、楽しい時間が過ごせるはず。上映後の座談会のサポートもしています。

大輔さん
現在、松本の梓川小学校の5年生と、総合的な学習の時間を使って、梓川の地域映画づくりに取り組んでいます。谷田さんにはインタビューを、3日満月には音楽を教えてもらう予定です。先日は、子どもたちと一緒に地域のお宅へフィルムを回収しに伺いました。そういう様子も次回作の「まつもと日和」に収めていきたいと思っています。<

谷田さん
7月15日から松本市美術館で、山崎監督の特別展があるので、それに合わせて上映会も企画しています。市民はもちろん、より幅広い層にもアプローチしていきたいですね。遠方でも楽しめるように、有料配信も始めました。

大輔さん
次回作に向けた活動も始めています。そのためには自己資金を確保しなければいけませんが、活動が先行している状況です。前回はクラウドファンディングと信州アーツカウンシルの助成金を充てましたが、映画制作とクラファンを同時に行うことはかなりハードでした。
上映料収入を、次の作品の制作費用に充てられるのが理想です。制作と上映の循環、そうして次へ次へとつながっていけばいいのですが、上映会の収入だけでは十分なものにはなりません。継続的に応援してもらえる協賛企業などを募っていく必要があります。

松本のPRになるような映画を、現状では県(アーツカウンシル)の助成金とクラウドファンディングと、持ち出しで作っている。

大輔さん
これまでの活動では自治体と協働することが多く、隣の安曇野市は2本の映画制作費用を全額出してくれています。ほかの地域でも自治体が資金をつくって制作することがほとんどです。

祐子さん
上映会の際に「ご支援ボックス」を用意していて、見てくださった方からのカンパが非常にありがたかったです。それが今年度の動き出しの資金になっています。

  • まつもとフィルムコモンズ
  • まつもとフィルムコモンズ

大輔さん
先日、映画祭にエントリーしました。客観的な評価も得られればと思っています。あとは、前回上映したときに、聴覚の弱い方がいらっしゃっていたので、字幕版や音声ガイドなど、バリアフリーのことも考えていきたいですね。

祐子さん
完成上映会の時に臥雲義尚松本市長が「すべての子どもたち、すべての市民にこの映画を見てもらいたい」とおっしゃってくれました。バリアフリー化もそうだし、あとは、小中学校や公民館、図書館などに行ったときに誰でも見られるような環境を整えていければ。市にも提案しているので、一つ一つ実現していければと思っています。

その頃には2も完成していて、両方見られるといいですよね。

谷田さん
2、3と、続いていくことで認知度も上がっていくと思います。

祐子さん
谷田さん、今、3って言いましたね。私もまだ3は口に出したことないのに(笑)。

谷田さん
でも、“松本3部作”っていいじゃないですか(笑)。

大輔さん
先のことがはっきり言えるほど…とくに資金面で不確かな部分も多いですが、それでも継続していくことでつながりも増えていくはず。地域映画の輪を広げていきたいと思っています。

まつもとフィルムコモンズまつもとフィルムコモンズ

「8ミリフィルムを募集して、それを映画化する」という言葉から、最初は回顧的なものをイメージしていました。しかし、多くの人が携わることで、地域の魅力を再認識できる“今”そして“未来”に続く作品になることが分かりました。
「年配の人は、懐かしいと感じるだけではなく、地域の子どもたちが頑張っている姿を頼もしくうれしく思う。子どもたちは映画を作ることで地域への理解や郷土愛が深まる」と大輔さん。懐かしい映像がよみがえった、というだけではなく、映画を通じて地域との関わりを新たに築く取り組み。過去と現在、そして未来をつないでいく力が「地域映画」にはあるのかもしれません。

取材・文:山口敦子(タナカラ)
インタビュー撮影:吉田智之

まつもとフィルムコモンズ
まつもとフィルムコモンズ

松本市で撮影された8ミリフィルムを市民から募集し、デジタル化した映像をもとに、地域住民と協働しながら「地域映画」づくりを目指すプロジェクト。
自主上映会を主催してくださる個人や団体の方に映像を貸し出しています。オンラインでも配信中!

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