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creative.nagano~アートの場をつくる人びと 第3回 荒井洋文さん(犀の角)

creative.nagano~アートの場をつくる人びと 第3回 荒井洋文さん(犀の角)

長野県内で、アートや文化によって新たな出会いを生み出す、クリエイティブな場づくりをしている人びとにフォーカスし、お話を伺う「creative.nagano」。この連載を通して、「CULTURE.NAGANO」のサイトに、長野県内のクリエイティブな場所や人のネットワークを浮かび上がらせていきます。第3回は上田市で「犀の角」(さいのつの)を運営する荒井洋文(あらい ひろふみ)さんです。 犀の角は、平成28(2016)年に上田市中心部の海野町(うんのまち)商店街にオープンしたゲストハウス併設の小劇場です。当時の上田市内には小劇場がなく、県内でもゲストハウスがいくつかでき始めて話題を呼んでいました。だからこそ荒井さんは「風を起こせるかな」と思い、生まれ育った街で犀の角を立ち上げたのだとか。オープンして丸5年経つ現在、「多くの人に知ってもらって、想像以上に広がった」と荒井さん自身が驚く、犀の角を拠点とした“新たな”活動の広がりをひも解いていきます。

かつて蚕都として賑わった上田で、演劇の“小屋”を立ち上げる

犀の角上田市の海野町商店街の一角に、ゲストハウスを併設した犀の角はある

荒井さんは上田市出身。高校からひとり京都へ移り住み、ジャーナリストを志していた大学時代に演劇と出会います。紆余曲折の20代を経て、平成16(2004)年、静岡県舞台芸術センター(SPAC)のスタッフに採用され、世界的な演出家で、芸術総監督を務めていた鈴木忠志(すずき ただし)氏のもとで「演劇しながら食える、奇跡みたいな環境」(荒井さん談)にどっぷり浸かりました。

SPACは10年勤めた節目で辞め、当時すでに結婚していたパートナーの舞さんとともに上田へ戻り、今度は自分の演劇をつくってみたいと思うように。そして犀の角の建物にたどり着きます。

  • 犀の角恒例となっている『新春!犀の寄席』
  • 犀の角犀の角を拠点に活動している詩人・朗読家GOKUのステージ
  • 犀の角島崎藤村の「夜明け前」を下敷きに犀の角が制作した『Before the Dawn 夜明け前 第一部』 (上田街中演劇祭2021より)
  • 犀の角広田ゆうみ+二口大学『受付』(上田街中演劇祭2021より)

荒井さん
「商店街の中にある、元銀行だった建物で、当時は空き店舗になっていました。オーナーが“もったいないから”と市民によるまちづくりワークショップを時々開いていて、そこに僕も参加したんです。ここならいい感じの劇場がつくれるんじゃないかと思って1カ月で事業計画書をつくり、オーナーが了承してくれたのが始まりでした」

ゲストハウスを併設したのは、経営基盤を安定させるという意味で慧眼(けいがん)だとお見受けしますが…。

犀の角ゲストハウスには観光客だけでなくアーティストも滞在する

荒井さん
「演劇は作品づくりに時間がかかるので、宿泊施設が併設されているのは理想的な制作環境です。SPACにも宿泊施設があって、僕もベッドメイクなどやっていました。そんな経験がもとになっていたのと、安定した経営のために別棟にゲストハウスをつくり、本館3階にレンタルスペースを設けました」

ゲストハウスがある犀の角には、必然的に演劇とは関係のない観光客も訪れます。

荒井さん
「(犀の角は)私設の観光案内所のような感じはありますね。ここに滞在するアーティストが上田をリサーチする視線を教えてくれるので、僕たちの中に、観光目線とは違う、独自の街の見え方が蓄積されていき、観光客の方にもシェアできているんじゃないかと思います」

昼間の犀の角で、地元の障がい者施設と場づくりする試み

平成30(2018)年からは、上田市で障がい者施設を営むNPO法人リベルテとの協働も生まれます。リベルテ代表の武捨和貴(むしゃ かずたか)さんはアウトサイダーアート(美術の正規教育を受けていない人びとが創作した芸術)への興味から、福祉の現場に入った経歴があり、リベルテの活動は障がいある人もメンバーとして共に街の中でアートに取り組む場所をつくりたいという野望がありました。

平成27(2015)年、信州大学の「地域戦略プロフェッショナル・ゼミ」で荒井さんと出会ったのをきっかけに、犀の角とリベルテは、リベルテのメンバー(利用者)の作品展示や、講座の会場として利用するなど、徐々に接点を増やしていきます。一方、夜間の営業が主体だった犀の角は、昼間の活用が課題に。荒井さんは武捨さんに「喫茶店をやってみない?」と打診します。

武捨さん
「僕たちは、どうやって街の中で活動していくか、どうやったら自然な形でメンバーが街の中にいられるかをテーマにしています。荒井さんから提案があった時、僕たちとしては喫茶店をやることが目的なのではなく、喫茶店に“擬態”して障がいのある人がいる場を街につくるチャンスだと思いました」

  • 犀の角犀の角で実施したNPO法人リベルテ主催の美術家・中津川浩章さんの講演会
  • 犀の角犀の角で実施したNPO法人リベルテ主催のサーカス・アーティストの金井ケイスケによるワークショップ

そうして誕生したのが、リベルテのメンバーが店員になる『リベルテの角』という喫茶店でした。

武捨さん
「1年経ってようやく、こういう感じかというのが見えてきました。メンバーを講師にしたアトリエ教室や、ポエムリーディングなどで地域の人との接点を増やして、5年くらいで形が見えてきたらいいなという構想がありました」

その矢先に、新型コロナウイルス感染症が流行しはじめ、『リベルテの角』も活動の中止を余儀なくされます。

リベルテのメンバーが喫茶店で培ったノウハウは、キッチンカーに形を変えて活かされ、武捨さんは、犀の角の昼間のサークル活動として『犀の庭』というゆるやかな紐帯(ちゅうたい)のグループをつくり、そこから産後をテーマにしたトーク動画配信『1135(いい産後)ラジオ』、上田市政について大人が自由研究する企画『上田と市政とコーヒーと』、週1回親子で遊ぶ『子ども部シマウマ』などの活動が生まれています。

コロナで劇場に人がいなくなって、街に困っている人が出てきた

一方、犀の角でもコロナ禍で演劇など催しができなくなり、ゲストハウスへの宿泊客も途絶えてしまいました。この時期から、犀の角を舞台にした“新たな”交流や取組が始まります。

荒井さん
「コロナで劇場に人がいなくなって、街に“困っている人”が出てくるようになりました。半分ホームレスのおじさんが、うちでモーニングを食べて昼まで席で居眠りしているとか、近所に勤める障がいのある女性がふらっと入ってきてストーブにずっと当たっているとか、それまでは見えていなかった状況が露わになってきました。犀の角は昼間はカフェや自習室をやっていますが、もともと(カフェ利用でなくても)誰が来てもいいです、というスタイルで運営してきましたし、彼・彼女がただここにいるというだけなら特段困る感覚はありませんでした」

そして立ち上がった活動が『のきした』です。立ち上げ当事者のひとりである「NPO法人場作りネット」の副理事・元島生(もとしま しょう)さんに話を伺いました。

  • 犀の角NPO法人場作りネットのパンフレット
  • 犀の角『のきした』の打ち合わせ様子
  • 犀の角過去の『おふるまい』の様子
  • 犀の角『うえだイロイロ倶楽部』の様子

場作りネットは、生活困難を抱えている人などの相談支援窓口を運営して、年間約8000件の相談に応じています。コロナ禍になってすぐ、福祉業界では、女性が苦境に立たされることが予見されていました。実際に、子育ての行き詰まり、夫婦関係の悪化、生活困窮といった女性の相談が増えていたことから、危機感を持った元島さんたち有志が「まずは集まって話をしよう」と始めたのが『のきした』でした。

元島さん
「犀の角なら何かできそうという直感があったんです。街の中に雨風をしのぐ“のきした”が必要だと思ってこの名前になりました。ここから緊急避難的にゲストハウスに泊まれる『やどかりハウス』、みんなでご飯をつくって食べる『おふるまい』、子どもや若者のための総合文化部『うえだイロイロ倶楽部』が始まりました」

『やどかりハウス』は、犀の角のゲストハウスの女性専用ルームに、女性や母子が1泊500円で最大10日宿泊できる取組です。必要があれば各種支援にもつなぎます。

荒井さん
「『やどかりハウス』に来られる方は、簡単に言葉をかけられないような大きな悩みを抱えている方もいますが、一緒に話したり、歌ったり、時に踊ったりすれば楽しそうにしていて、他の宿泊客と変わりません。犀の角のゲストハウスとしては、同じお客さんなんです」

『おふるまい』は劇場のコモンスペース化の真骨頂

『おふるまい』は、おおよそ2カ月に1回開催していて、参加者も大勢来ますが毎回ボランティアが40人ほど集まり、関わる人が多いのが特徴的です。10月17日(日)に開催された『おふるまい』を覗いてみました。

  • 犀の角10時から緩やかに始まったスタッフの全員ミーティング
  • 犀の角『時間銀行』は自分ができることを希望する方に提供する仕組み
  • 犀の角寄付されたたくさんのジャガイモも新聞紙に包み、ふるまわれた
  • 犀の角張り紙などの準備も手分けをしてスムーズに行われた

よく晴れた日曜日、朝10時の犀の角にはボランティアスタッフが大きな輪になって集まっていました。その数は約40名。大人だけでなく大学生、高校生、子ども連れなど世代も性別もばらばらの顔ぶれです。
ミーティングでは短いながらも全員が自己紹介を行い、これから共有する楽しい時間への予感で場が温まっていきます。受付や駐車場係、タイカレーの振るまい、子ども服や家庭用品のリサイクル『くるくる市』、貨幣ではなくそれぞれの技能や手間を交換する『時間銀行』、書道ワークショップ、工作ワークショップなど、持ち場はすぐに決まっていきました。

ジャガイモの寄付が届いたら、その場にいる人たちで手分けして新聞紙に包み、「ご自由にお持ちください」と札がつけられます。お昼時になればタイカレーのいい匂いが漂い、駐車場に置かれた薪ストーブの周りでカレーを食べながら談笑する様々な人の姿が。午後からは太鼓と踊りのミニパレードがあり、オープンマイクで青空ステージに立つ人も。スタッフはスタッフ証をつけないので、見た目には参加者と区別がつきません。参加者も、見た目には困りごとや悩みを抱えているかどうかは分かりません。ただその場とその時間を楽しむ人たちがいる、コモンスペースが出現していました。

  • 犀の角12時になると美味しそうな匂いが辺りに漂い、おふるまいがスタート
  • 犀の角「案内」もその場でつくられる
  • 犀の角この日のために30キロのお米など食材の寄付が寄せられた
  • 犀の角アレルギーへの配慮も忘れない

元島さん
「ホームレスのおじさんは、『おふるまい』で一緒にごはんを食べてしゃべったあと、僕の中で“苦労人のおじさん”に変わったことに気づいて、これは出会い直しだなって思いました。困っていそうな人との関わり方はいろいろあると思うんですけど、ラベリングやカテゴライズするのではなく、人としてどう出会い直すかなんだと思います」

そんな元島さんにとって、文化施設として、インクルーシブ(社会包摂)な機能を発揮する犀の角は「余地やすき間があって、荒井さん自身がそういうものを楽しむ気持ちがある」ように見えると言います。

  • 犀の角『おふるまい』では相談支援もできる
  • 犀の角近所の公園では『うえだイロイロ倶楽部』が開かれ、踊ったり歌ったり
  • 犀の角子ども服や家庭用品のリサイクル『くるくる市』
  • 犀の角達筆な書が並んだ書道ワークショップ
  • 犀の角午後の部はパレードから始まった
  • 犀の角青空ステージでは、荒井さんや元島さんも歌った

犀の角に“すき間”があるのは、劇場としては逸脱した仕様も影響しているようです。いわゆるブラックボックスと呼ばれる真っ黒な壁に囲まれた設備が整った空間ではなく、通りに面した大きな窓があり、カフェのカウンターまである。初めて犀の角を訪れた演劇関係者が「ここで芝居ができるの!?」と面食らったことは、一度や二度ではありません。

荒井さん
「劇場って何だろうとずっと考えています。それで演劇に引っかかり続けているというか…。犀の角が劇場らしくない劇場だということもありますが、どこでも立ち上がることができるのが演劇で、必要な場所に劇場は現れるという、ある種“脱劇場”のような志向が自分にはあるんだと思います。犀の角もずっと続けばいいとは思っていません。劇場はどこまでいっても“小屋”だから、消えてなくなる感じがしっくりくるんですよね」

その場所でしか生まれないものを、大切にすることで地域の文化になればいい

「犀の角は未来永劫続かなくてもいい」という荒井さんですが、文化拠点としてすでに上田市に根を下ろしているのは確かなことです。その犀の角の少し先の未来、そして地域の未来はどう考えているのでしょうか。

荒井さん
「今はコロナ禍もあって、どこにでも持っていけるような演劇パッケージが増えました。それはとても効率的で便利ですが、モバイル(自由に動く)を可能にするためにそぎ落とされてしまうものが必ず出てきてしまいます。僕は逆に、その場所でその人たちにしかつくれない表現を大切にしたいんです。持ち運びできない分、表現を届ける“飛距離”は出ないし、複雑で大変です。でもそれが地域の文化になっていけばいいですね」

犀の角演出をする荒井さんの目は演劇への強い想いを感じさせる

犀の角はコロナ禍を経て“社会との接点や窓口としての劇場”として、劇場を超えた広がりを持ち始めました。自身を劇場の支配人ではなく「住職」と規定する荒井さんにとっては、犀の角はかつてのお寺や神社のような誰が来てもいいコモンスペース――荒井さんの言葉を借りるならば“なんでもない場”――のようです。

荒井さんがSPACを辞める時、芸術総監督の宮城聰(みやぎ さとし)さんから「航海に出るんですね。出航おめでとうございます」という言葉を贈られたそうです。その言葉が荒井さんにはとてもしっくりきていて、実際「犀の角がどこに向かうかは、その都度決める、航海の旅の途上」という感覚なのだとか。犀の角のすき間に、これから何が、誰が潜り込んで変化をもたらすのか――街の“なんでもない場”は、次なる変化を心待ちにしながら上田の街中にたたずんでいます。

取材・文:くりもときょうこ
撮影:野々村奈緒美
トップ画像:直井保彦
施設写真撮影:太田拓実

犀の角

犀の角
上田市中央2-11-20

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