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まつもと市民芸術館総監督・串田和美さんに聞く〜『信州・まつもと大歌舞伎』を通した市民と公共ホールの協働関係〜

まつもと市民芸術館総監督・串田和美さんに聞く〜『信州・まつもと大歌舞伎』を通した市民と公共ホールの協働関係〜

松本市を舞台に2年に1度開催される『信州・まつもと大歌舞伎』。7回目となる今年は、6月に『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』が大盛況のうちに幕を下ろしました。会場である「まつもと市民芸術館」は平成16(2004)年に開館しましたが、平成20(2008)年の『信州・まつもと大歌舞伎』を契機として、市民にとって身近な文化芸術の拠点となり、現在に至ります。まつもと市民芸術館総監督で、『信州・まつもと大歌舞伎』の全演目を演出してきた串田和美(くしだかずよし)さんに、市民との協働によってこの一大イベントがどう育まれてきたかを伺いました。

『信州・まつもと大歌舞伎』の魅力は市民とともに築き上げられた

まずは『信州・まつもと大歌舞伎』を紹介します。串田さんが東京・渋谷にある民間劇場、東急文化村シアターコクーンの初代芸術監督を務めていた平成8(1996)年、歌舞伎俳優の故・中村勘三郎(かんざぶろう、当時は勘九郎)丈と「コクーン歌舞伎」を立ち上げました。伝統芸能ではなく、現代劇としての歌舞伎の上演を掲げたこのシリーズは、劇中にロックやラップを取り入れたり、ダイナミックな照明、本物の水や泥を大胆に使用したりする演出、そこに登場人物のリアルな感情表現などが相まって、それまで歌舞伎を見なかった観客層をも惹きつけました。

『信州・まつもと大歌舞伎』は、いわばその引っ越し公演ですが、初回から松本市独自の趣向を凝らしていました。演出面では新たに大勢の市民キャストを起用するなど広い空間に合わせて作品をスケールアップ。松本城へと向かう本町通りや大名町通りを歌舞伎俳優が人力車に乗って進む「登城行列」と、松本城で舞台あいさつをする「市民ふれあい座」、ホールの2階フロアを使って松本市の名産品やオリジナルグッズを販売する「縁日横丁」など、チケットを持っていない方々もイベントの雰囲気を味わえるようになっています。それら公演に連なるイベントの企画や運営、客席案内などお客様のおもてなしを担当しているのが、市民サポーターの皆さんです。

『信州・まつもと大歌舞伎』を通した市民と公共ホールの協働関係平成28年『四谷怪談』での、歌舞伎俳優の皆さんが人力車に乗って街中を進む「登城行列」
『信州・まつもと大歌舞伎』を通した市民と公共ホールの協働関係「登城行列」で笑顔の串田さん

串田さん
「歌舞伎は勘三郎さんがやろうと賛同してくれたことが大きかった。歌舞伎の改革として始めた企画だからこそ、大都市ではなく、市民の皆さんと一緒に育むことができそうな松本市を選んでくれた。そして『信州・まつもと大歌舞伎』の成功に向けて市民の皆さんがものすごく努力し、いろいろな工夫もしてくださった。もちろん当初は“この街で1万人を超える観客を集めるのは無理だ、大赤字になって恥をかくだけだ”という反対意見もありましたが、それはそうならないための警告として、実行委員会の皆さんが団結するのに必要な意見だった。松本市には、30年続いてきた音楽祭『セイジ・オザワ 松本フェスティバル』で培ってきた市民ボランティアの経験があったからこそ、市民の皆さんと一体となって、未知のイベントを成功に導くことができたのです」

市民サポーターと呼ばれる『信州・まつもと大歌舞伎』のボランティアは、参加費を払って活動している点が異色であり、関わる皆さんの強い思い入れを感じます。

『信州・まつもと大歌舞伎』を通した市民と公共ホールの協働関係『四谷怪談』の際の「市民ふれあい座」。歌舞伎俳優と市民が再会を喜び合う
『信州・まつもと大歌舞伎』を通した市民と公共ホールの協働関係まつもと市民芸術館2階フロアでの「縁日横丁」。『四谷怪談』では「お化け横丁」となった

今年の『夏祭浪花鑑』は、平成20年の初開催時と同じ演目。串田さんにとっては初めて演出した歌舞伎であり、ニューヨーク、ベルリンやルーマニアのシビウでも上演してきたとあって、思い入れもひとしおです。

新型コロナウイルス感染症の全国的な感染拡大により開催が心配されましたが、串田さんは「お祭りというのは楽しい時だけやるものではない。長い歴史の中で、事故があったり災害があったりするような苦しい時に、人びとはお祭りでそれを祓(はら)おうとした。つらい時こそお祭りのエッセンスを思い出そう、そういった思いで演出しました」とコメント。また、例年は400人ほど集まる市民サポーターに、今年も260余名の方々が名乗りを上げてくれたことに触れ、「これだけの皆さんが集まってくれるのはものすごいこと。コロナ禍での開催の経験は、この街の財産として受け継がれていくはず」と続けました。

残念ながら感染対策のため、今年は市民と歌舞伎俳優がふれあうイベントは中止になり、明るく大きな声でお客様を迎えることもできませんでした。しかし、市民サポーターが身につけているお揃いの柿色の格子柄(『夏祭浪花鑑』の主人公が着る浴衣と同じ柄)の法被(はっぴ)やマスクが賑々(にぎにぎ)しい雰囲気を醸し出し、観客への丁寧な案内とともに“松本の夏祭り”の盛り上げに一役も二役も買っていました。

催し物に足を運ばない大多数の市民にこそ魅力を届けたい

「大きなトンネルを抜けたような感じだった。歌舞伎を皮切りにいろいろなことがゴロンと動き出した」。『信州・まつもと大歌舞伎』の歴史が始まり、文化芸術の拠点として市民に受け入れられた当時の「まつもと市民芸術館」の変化について串田さんはそう振り返ります。串田さんが就任時に掲げていた、いくつものプランが実現していったのです。開館当初より芸術監督制を採用し、地元で作品を制作し、積極的に発信していくことをミッションに掲げている「まつもと市民芸術館」のスタイルが、『信州・まつもと大歌舞伎』を一つのきっかけとして軌道に乗ることができたのかもしれません。

串田さん
「『信州・まつもと大歌舞伎』は間違いなく市民が育ててくれた。舞台上だけでなく、関わること、一緒に学び、考えることなど含めてすべてが演劇だと教わりました。東京だったら業者に頼めば必要なものは何でも揃えられるけれど、松本市では市民の皆さんがその役割を担ってくれている。例えば劇中で使う米俵が欲しいと言えば、地域のお年寄りに教わって昔ながらの手法でつくってくれる。実現はしませんでしたが牛を出したいと相談すればどんな方法ならできるか考えてくれる。そうやって公演を支えてくれることはすごくありがたいし、うれしい。それを“地方だから”という言葉で片づけてはいけない。それこそ文化だと思うんです。地域のお祭りをやる時には当たり前のように皆さんが駆けつけるでしょ。どこかその感覚に似ている」

『信州・まつもと大歌舞伎』を通した市民と公共ホールの協働関係お揃いの法被姿でお客さんを見送る市民サポーターの皆さん(平成28年開催時)
『信州・まつもと大歌舞伎』を通した市民と公共ホールの協働関係令和3年の歌舞伎はコロナ禍でもあり、市民サポーターのミーティングにも一層力が入る

また『信州・まつもと大歌舞伎』の定着には、市民キャストや市民サポーター、街の皆さんと積極的に交流を重ねた勘三郎丈の存在も大きかったのです。そのつながりから、病気を克服しようとする勘三郎丈の背中を市民の皆さんが押しました。

串田さん
「勘三郎さんが病気をした後、平成24(2012)年の『天日坊(てんにちぼう)』の千秋楽(せんしゅうらく=最終日)にサプライズで出演しました。それは出演者さえ知らなかったこと。その時に満員のお客さんに“絶対に戻ってくる”と語りかけてくれたけれど、その言葉に集まったお客さん誰もが同じ気持ちになったと思う。それはまた市民の皆さんに“「まつもと市民芸術館」があってよかった”と思っていただけた瞬間でもあったのではないでしょうか。この永遠とも言える一瞬を多くの人が共有したことは奇跡であり、その話を伝え聞いた市民の皆さんがホールに起こった物語として語り継いでくれたらうれしい」

そう語る串田さんもまた、『信州・まつもと大歌舞伎』が市民に愛されるイベントになっていくのに大きな役割を果たしています。芸術監督は芸術面における責任を担保する存在。自身が作品を手がけるだけではなく、そのネットワークを駆使して、多様な芸術を提供する使命もあります。歌舞伎のような巨大プロジェクトは招致するだけでも至難の業ですが、それを松本色に染め上げることができたのは市民パワーもさることながら、串田総監督に対する松竹株式会社など歌舞伎関係者の信頼があってこそ。

『信州・まつもと大歌舞伎』を通した市民と公共ホールの協働関係千秋楽には毎回お礼と再来を期待する横断幕や懸垂幕が掲げられる(平成20年開催時)

串田さん
「公共ホールは税金という形で全市民が支えてくれている。でも催し物に足を運ばない人の方が圧倒的に多いわけで、こうした皆さんにも“ホールがあってよかった”と思ってもらうには、どうしたらいいかは常に考えています。ある一瞬に立ち会ったのは500人であっても、タクシーの運転手やお店の人たちが催しが行われることを知っていたり、作品のことが街で噂になったり、後世の人にも語り継がれるにはどうすればよいかをより強く考えるようになったのは、この歌舞伎の経験が大きかったかもしれません」

『信州・まつもと大歌舞伎』を通した市民と公共ホールの協働関係

令和3(2021)年4月1日付でまつもと市民芸術館の芸術監督から総監督に就任した串田さんは、令和4(2022)年度末で、4期20年にわたる任期を終えることが同時に発表されました。日本全国を見渡しても芸術監督がいる公共劇場・ホールは決して多くはありませんが、『信州・まつもと大歌舞伎』での市民との協働を通して、「まつもと市民芸術館」と市民の皆さんが紡いだ絆は、松本市らしい市民と公共劇場・公共ホールとの関係を示したものと言えるかもしれません。

松本市には、『セイジ・オザワ 松本フェスティバル』などで培われたボランティア活動の文化が広く根づいています。『信州・まつもと大歌舞伎』も、そのような市民の皆さんの支えによって育まれてきました。ただ同じ役割を繰り返すのではなく、開催のたびに市民の皆さんの新しいアイデアを取り入れてボランティアの仕事が更新されていくのも、多くの方々が毎回新鮮な気持ちで関わってくださる秘訣かもしれません。

公共ホールには、さまざまなミッションや運営の仕方がありますが、地域の皆さんが地元の文化芸術の拠点として誇りに感じる場所になることが大切なのだと思います。「まつもと市民芸術館」は『信州・まつもと大歌舞伎』によって、それを実現し、ここまで来ました。施設利用者や運営する関係者だけでなく、文化芸術を通して協働や交流の機会を求める様々な皆さんの関わりや想いを集めることが、施設を磨き上げ輝かせていく力になる、ということを『信州・まつもと大歌舞伎』開始以降の10年余りの取組から学ぶことができそうです。

取材・文:いまいこういち
撮影:平林岳志
写真提供:まつもと市民芸術館

佐久市コスモホール

まつもと市民芸術館
松本市深志3-10-1

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