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creative.nagano~アートの場をつくる人びと 第2回 岩熊力也さん・大沢理沙さん(木曽ペインティングス)

creative.nagano~アートの場をつくる人びと 第2回 岩熊力也さん・大沢理沙さん(木曽ペインティングス)

長野県内で、アートや文化によって新たな出会いを生み出す、クリエイティブな場づくりをしている皆さんにフォーカスを当て、お話をうかがう「creative.nagano」。この連載を通して、「CULTURE.NAGANO」のサイトに、長野県内のクリエイティブな場所や人のつながりのネットワークを浮かび上がらせたいと思います。第2回は「木曽ペインティングス」の岩熊力也さん、大沢理沙さんにお話をうかがいました。木曽ペインティングスは、毎年、木曽エリアにアーティストが長期滞在しながら作品制作を行い、発表するアートフェスティバルです。またお二人は、この秋に、木祖村・旧薮原宿の元旅館をリノベーションして、滞在施設と展示ギャラリーを兼ねた場を正式にオープンしました。木曽ペインティングスのみならず、日常の中にアートがある環境はさらに進んでいきそうです。

木曽ペインティングス
木曽ペインティングス

2017年6月、宮ノ越、木曽福島、上松町を会場に「宿場町と旅人とアートの至福な関係」を掲げてスタート。2018年のvol.2「けものみち」は木曽町、上松町、木祖村を会場に「害獣」をテーマに、2019年のvol.3「夜明けの家」は木祖村を会場に「空き家」をテーマに開催。2020年は新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響を受け、例年の6月から延期し、この11月に木祖村の歴史を掘り下げることをテーマに、vol.4「村のオハナシ 澤頭修自 meets ART」が開催されます。

中山道の中間地点、東西が交わった木曽の地で、地域の人びととアートが出会う

木曽ペインティングスは、代表の岩熊力也さんの切実な想いから始まりました。都内でアートギャラリーを構え、美術大学の非常勤講師を務めながら芸術活動をしていた岩熊さんは、妻・美幸さんの出身地でもあった木祖村のお隣、木曽町へ、2015年に移住します。

岩熊さん
「東日本大震災があって、その後の自分の生き方を考え始めたときに、都会でアート活動をしていくことに疑問を持ったのがきっかけでした。震災前と同じように活動していくことが、なにか違うんじゃないかと。とにかく都会を飛び出して、イチからやり直したいと思ったんです」

木曽ペインティングス木曽ペインティングスをスタートさせた岩熊力也さん

3月に木曽町へ移住し、6月に構想を練り始め、10月には子どもたちを集めてワークショップを開催するという早業。原動力は岩熊さんの中にある「もうやるしかない」との想いでした。地域の方々の反応はどうだったのでしょうか。

岩熊さん
「地域の方々と交流して最初にぶつかった壁は、だれもアートに興味がないということでした。東京にはそれなりの人数に囲まれてアートの話ができる環境がありました。日本は一般にアートが根づいていないというのはわかっていましたが、そのことをこちらに来て現実として実感したんです。木曽地域には絵の具やキャンバスが買える専門のお店がありません。美術館もギャラリーもありません。それなら画材はこの地域にある資源を、会場は空き家を使ってゼロから美術を始めようと考え、知り合いのアーティストや美大の学生に声をかけたんです」

木曽ペインティングス木曽ペインティングス旗挙げの練り歩きイベント
木曽ペインティングス木蘇皮プロジェクトでつくった墨と筆

岩熊さんは地域の会合に顔を出し、飲み会に参加し、大人たちの共通の話題であるゴルフも始めました。木曽町日義は木曽義仲が平家打倒の旗挙げをした地であったことから、子どもたちと幟(のぼり)をつくるワークショップを行い、2017年6月にみんなで幟を掲げて練り歩くイベントで初の木曽ペインティングスをスタートさせました。第2回は会場となる地域を広げ、「画材づくり」と「空き家での展示」に取り組みました。地域で駆除されたイノシシや鹿の毛皮から筆を、毛皮を煮出した膠(にかわ)と煤(すす)を練って墨を手づくりし、絵を描く(=木蘇皮プロジェクト)。それは木曽地域にこだわり、地域の皆さんと一緒に芸術活動を行うことを不可欠とする岩熊さんの活動を象徴するものと言えます。ただ、地域の皆さんからは、どこか遠巻きに見られているように感じていたそうです。
ところが3年目に、ある縁が動き出します。

「日曜画家の村」木祖村へ
いくつかのアートの要素がそろう

木祖村では、キャンバスの木枠やイーゼルなどの画材を生産する会社がいくつも所在した(現在は3社)ことから「日曜画家の村」を謳っています。その木祖村に2018年春、名古屋芸術大学を卒業したばかりの大沢理沙さんが、地域おこし協力隊として着任してきました。名古屋芸術大学は村内に研修施設を持っており、村では学生をインターンとして受け入れていました。大沢さんも、学生時代から合宿やインターンなどで毎年のように木祖村にやってきていたのです。そうした縁が重なり、木曽ペインティングスは3年目から木祖村に舞台を移して開催されることになり、地域との結びつきを強めていきます。

  • 木曽ペインティングス池上怜子さんの展示(vol.3「夜明けの家」より)
  • 木曽ペインティングス岩熊さんの展示(vol.3「夜明けの家」より)
  • 木曽ペインティングス谷口智美さんの展示(vol.3「夜明けの家」より)
  • 木曽ペインティングス藤原裕策さんの展示(vol.3「夜明けの家」より)
  • 撮影:岩熊力也

1889年に誕生した木祖村は、木曽郡を縦断する木曽川の源流の地であることから、「木曽の祖」という意味を込めて名づけられました。鳥居峠の麓、江戸時代は交通の要所であり、薮原地区は旧中山道六十九次の三十五番目「薮原宿」として栄え、現在も伝統工芸品として生産されている「お六櫛」は、そのころに土産品として全国に広まりました。現在は約2800人の方々が暮らしています。

岩熊さん
「僕らはただ展覧会がやりたいわけではありません。地域の課題にアートで取り組む、それを地域の方々と一緒にやっていきたいんです。アートは単に美術館で観るだけのものではなく、生活の局面や考え方を変えるきっかけになるものだからです。薮原地区は4軒に1軒が空き家で、若者もどんどん都会に出てしまっている。人が減ると、それに伴って今度は野生動物が増えてしまう。そうした課題にアートで何かをしようと考えているんです」

大沢さん
「地域おこし協力隊としての私のミッションは旧薮原宿の活性化。でも最初は何をやったらいいか悩みました。そんな時に、役場の空き家担当の方が岩熊さんとつないでくださって。岩熊さんからは“来年は会場を木祖村に絞るから空き家の調査をしてください”と。木曽ペインティングスのコンセプトを自分なりに読み解きながら、ここでどんな仕事をしたらいいかを考えました。私自身もアートは地域の中、生活の中にあって、もっと楽しいものだという想いがあったので、岩熊さんと出会えたのは大きかったです」

木曽ペインティングス地域おこし協力隊の大沢理沙さん

大沢さんは、岩熊さんと木曽ペインティングス vol.3「夜明けの家」の準備をする傍ら、「つばめ型屋号看板プロジェクト」も企画しました。旧薮原宿のそれぞれの家の歴史でもある屋号を次世代に引き継いでいこうと、木祖村の職人や、ここで育つ子どもたちとの共同制作で7つの屋号看板をつくりました。それは「夜明けの家」の展示会場となった空き家の入口に、現在も掲げられています。

木曽ペインティングスつばめ型屋号看板「大半」

大沢さん
「旧中山道を歩く人たちのコミュニケーションの種になるものを、地域の人たちと一緒に生み出せたらいいなあと思って。協力隊の活動は、一方的なものにならずに、地域の人たちと一緒に土地のことを考えるきっかけになる企画をと思っています。屋号看板は、木曽ペインティングスによって扉が開いた空き家の目印としてつけているんですけど、そこに今はアーティストが移住してくれているんです。これからも屋号看板が増えていけばいいなと思っています」

かつて江戸と京都の中間地点として栄えた木曽地域。木曽ペインティングスにも、東西両方面から若いアーティストがやってきています。そこにも岩熊さんの想いが込められています。

岩熊さん
「若いアーティストの活動の幅を広げたかったんです。一流の画廊に認められて有名になっていくのはアーティストにとっての道の一つ。でも本当に一握りの人間しか生き残れない道だし、それだけが正解ではない。いろんな活動の仕方があることを知ってほしいんです」

岩熊さんと大沢さんは旧薮原宿に新しい風を吹かせています。木曽ペインティングスのために滞在するアーティストとともに、展示会場として借りた古い空き家の掃除から始め、何年も閉ざされていた家々の戸や窓を開き、家の中に人を招き入れました。フェスティバル期間中、古民家を展示会場として開くことで、旧街道の景色を変えていったのです。

木曽ペインティングス初期の「つばめ通信」。「夜明けの家」開幕時は22号まで出ています

そうした過程の一つひとつは、回覧板に挟まれて運ばれる、彼らがつくるニュースレター「つばめ通信」によって地域の人たちに伝えられました。「東京からアーティストがやってきて勝手なことをしていると思われたくない」という岩熊さんの強い想いは、少しずつ周囲の人たちに浸透していきます。

「秋のきのこ祭り」でワークショップやミュージシャンのライブを企画したり、「氷雪の灯祭り」のプロデュースを依頼されて敷地全体を氷のキャンドルで彩ったり、木曽ペインティングス以外にも、地域の皆さんから依頼されることが増えました。また木曽ペインティングスは、2019年度に、長野県の「地域発 元気づくり支援金」の優良事例として「知事表彰」を受賞しました。
そして今年度の企画を準備していたところ、新型コロナウイルス感染症が感染を拡大していきます。

コロナが僕らと村民をより結びつけてくれた

長野県の「頑張るアーティスト応援事業」に、木曽ペインティングスも『がんばれ木祖村プロジェクト』という作品で参加しています。その中で流されるミュージックビデオ『木祖村ブルース』は、村の人たちとその営みを、クスッと笑ってしまうような音楽に乗せて紹介する、かわいらしく心温まる映像です。

木曽ペインティングス「がんばれ木祖村プロジェクト」木祖村を少しでも元気づけようと「がんばれ木祖村」と題したアートプロジェクトを立ち上げて5月から実践。そのうちの3つをニュース番組形式で1つの映像作品としてまとめました。

岩熊さん
「『木祖村ブルース』の企画は去年の秋ごろから立ち上がりました。本当は地域の方が総出で楽しめる音楽フェスをやろうとしていたんですが、コロナの影響でできなくなって、急きょミュージックビデオに切り替えたんです。コロナのおかげと言うのもおかしいんですけど、撮影を通して地域の人とグッと近づくきっかけになりました」

大沢さん
「村民の皆さんとの共同制作は初めて。撮影も編集も楽しかったですね。この夏に、アーティストが滞在制作できる施設、藤屋レジデンスをつくったんですけど、そのプレオープンイベントで『木祖村ブルース』を披露したら、多くの方が見てくださって、さらにケーブルテレビでも放送されて、たくさん感想をいただくなど皆さんに喜んでいただけました」

ちょうど3月に大学を卒業し、そのままアーティスト・イン・レジデンスのために東京からやってきた近藤太郎さんも、この映像制作にかかわりました。

木曽ペインティングス近藤太郎さん

近藤さん
「コロナ禍ですから地域の人も警戒しているし、僕も意識して気をつけなければいけない状況でした。なかなか皆さんと交流することはできませんでしたが、『木祖村ブルース』の制作があったおかげで地域に飛び込めたんです。最初はアーティストだけが突然やってきてもなじめないだろうと思っていましたが、これを機に、共通の話題がないと話しかけられないような人たちとも交流できるようになりました。今も買い物に行った商店などでお話をしたり、人間関係を築けたのは大きかったと思います」

木曽ペインティングス木曽ペインティングスvol.4「村のオハナシ」チラシ

そして、いよいよ11月7日から22日に、木曽ペインティングスvol.4「村のオハナシ」が開催されます。

岩熊さん
「今年は企画を変更して、規模も縮小して木曽在住、移住してきたアーティストの展示を行うことにしました。郷土史家の澤頭修自先生の文章や写真をもとにアーティストが作品をつくります。澤頭先生は、木祖村出身で教員として42年間働く傍ら、昭和30年くらいから村の歴史を研究して来られた方。木祖村にアーティストがやってくると、昔の話や風習をリサーチするために最初に訪ねるのが澤頭先生のところなんです。そんな経緯もあって、今年は澤頭先生とどっぷりコラボします。木祖村のこと、木祖村の歴史に特化してみようと。的を絞ったことで準備期間は不思議といい時間になったと思います」

大沢さん
「コロナ禍だからと言って私たちの生活は何も変わりませんでした。でも木曽ペインティングスとしては、コロナ禍でしかできないかかわりを通して、地域と向き合えている実感があります」

地域の皆さんがアーティストを受け入れてくださるのも重要なポイント

こんな二人の活動を縁の下の力持ちとして支えている、木祖村産業振興課長の東大平さんに話を伺いました。東さんは地域おこし協力隊の大沢さんの上司にあたる方です。

東さん
「木曽ペインティングスの活動は、県の元気づくり支援金を活用し、村で予算を立てて、大沢さんに地域おこし協力隊として活動してもらっているという形です。大沢さんを採用したときは、木曽ペインティングスについてはまったく考えていませんでした。岩熊さんとの出会いから、新しい取り組みにつながったんです。空き家を展示会場として活用するなんて、私どもはだれも想像していませんでした。このごろはまさに日曜画家の村っぽくなってきましたね。もちろん、村民の方々や議会から“何をやっているのかよくわからん”との声もあります。けれど“よくわからん”ことが面白いんです。わからなくて面白いからこそ発展性がある。彼らは本当にストレートに我々の懐に飛び込んでくるんですよね、それがうまくいく、前に進む秘訣なのかなと思います。そして村にやって来たアーティストたちを地域の皆さんがちゃんと受け止めてくれていることも重要です」

木曽ペインティングス木祖村産業振興課長の東大平さん

岩熊さん
「本当に地域の方々がアーティストたちの世話をしてくださる。ダントツでお世話になっているのは大沢さんですけど(笑)。差し入れを持ってきてくださったり、作業を手伝ってくださったり、本当に家族みたいに接してくれるんです。東京では隣人に無関心なことも多いじゃないですか。だからこそ木祖村にやって来た若いアーティストも素敵なところだと感じるんだと思います。木曽ペインティングスをきっかけに移住したアーティストは3人になります。これからも移住者が増えるように、僕らは彼らが来やすくなるような環境をつくっていきたい。だから自分の作品をつくる時間がまるでありません(笑)」

今年度で、地域おこし協力隊としての大沢さんの任期は終了します。では、今後、どうするのでしょうか?

大沢さん
「会社を立ち上げる準備をしています。藤屋レジデンスを貸しギャラリーなど多目的に活用できるように、いろんな方々に使っていただけるようにしたいと考えています。私自身も大学時代にやっていた版画のワークショップをやりたいと思います。ここを拠点に、旧中山道の街道に木祖村の歴史を展示していく、残していく仕事をやっていきたい。私ももっと勉強して、いろんな方から情報を収集しながら、眠っている物語を掘り起こしていきたいです」

  • 木曽ペインティングス藤屋レジデンスの玄関
  • 木曽ペインティングス藤屋レジデンスのギャラリースペース
  • 木曽ペインティングス藤屋レジデンスで滞在制作する近藤さん
  • 木曽ペインティングス滞在制作する近藤さんの部屋

この日、取材に使わせていただいたのは、藤屋レジデンスのギャラリースペース。新たな夢がすでに動き出しているようです。

東さん
「大沢さんが“歴史を掘り起こす”とおっしゃってくださいましたけど、実は村には学芸員がいないんです。学芸員と同じくらい勉強されてアイデアを出してくだされば、たとえば伝統あるお六櫛の新たな売り方も考えつくかもしれないし、それによって購入されるお客様の層も変わると思うんです。藤屋レジデンスが面白くなって、今までになかったことがポツリポツリ増えれば、興味を持った方がやって来て、それがまた移住につながるとか、素晴らしいサイクルになっていくといいなあと思っています。すごく期待しています!」

【木曽ペインティングスを目撃する地域の皆さんが語る】

今回の取材には、薮原地区で、木曽ペインティングスの活動を間近に見、接している地域の皆さんにも集まっていただきました。言うなれば、地域でのアーティストの動きを肌で感じ、時には、「ストレートに飛び込んでくる」アーティストに“懐”を貸している応援者の方々。受け止める側の地域の反応をもっとも敏感に受け取っている方々、と言っても差し支えないでしょう。 地域から見て、皆さんはアートの作用や可能性をどう見ていらっしゃるのでしょうか。

  • アーティストに画材の製造を体験する機会をつくることで応援 湯川寛人さん(マルオカ工業株式会社)
    • 木曽ペインティングス湯川寛人さん
    • 木曽ペインティングス滞在中の近藤さんはマルオカ工業でアルバイトしながら画材製作を学んでいる
    僕は2回目の時に木曽ペインティングスを知り、アートでムーブメントを起こそうとしている若者たちがいる、というざっくりとした認識で展示を観にいきました。岩熊さんたちは展示会場の確保にも苦労されているようにも見えたので、アートへの理解という点で木祖村なら、「日曜画家の村」を謳ってもいますし、なにかお手伝いできるかもしれないと感じていました。最近では、ただの近所のつながりにすぎなかった僕たち住民たちの間にアーティストの話題が入ってきて、アートを通してこれまでと違うかたちの人と人のつながりが生まれています。そのつながりが回りまわって自分に返ってくるのは面白い。この村には、村外に出ずに、この地で働き、頑張っている方もたくさんいます。だからこそアーティストなど村外からやってくる皆さんと新たな交流が広がれば、アートだけではなく、さまざまな文化を知る機会になると思うんです。岩熊さんは外国人の方々も村に呼びたいというプランをお持ちのよう。僕らも怖気づいていないで、大きな可能性を生かしていきたいと思っています。皆さんには今までやってきた気持ちを曲げずに、この地で思い切り頑張って、いい作品をつくってほしい。私どもは画材をつくっている会社として、その下支えができればと思います。
  • 日本酒のラベルを描いてもらうことで応援 湯川尚子さん(株式会社湯川酒造店)
    • 木曽ペインティングス湯川尚子さん
    • 木曽ペインティングスアーティストが描いた日本酒のラベル
    木曽ペインティングスの活動が始まり、町の中に人がいる、人の声が聞こえるようになったと感じています。それは若いアーティストの皆さんが活動のためによく町を歩いているから。私も子どもと散歩しているとたいがい皆さんとお会いするんです。町で声が聞こえるようになって、今まで車で済ませていたところを、歩いて買い物に行こうかな、お会いしたらどんな話ができるかなと思うようになりました。そんなふうに外に出ようという気持ちにさせてくれている。少しずつ静かになってしまっていた村の生活環境に、刺激を与えてくださる人たちがいるというのは大きなことだと感じています。今までは街道で商売をしたくてもその素地がありませんでした。でも若い皆さんがたくさんの点を生み、アートを観にくるお客様が増えることで、新たなにぎわいが生まれそうだと期待しています。うちは街道の店もほぼ閉めていますし、地域活性化という部分ではなにもできていないかもしれません。だからこそ、弊社で仕込み販売する日本酒のラベルをアーティストの方々に描いていただいて対価をお支払いするなど、うちならではのかかわり方をしたいと考えています。いろんな人の手によって未来への可能性をつなげていただいた私たち村民も、自分たちも何かやらなければという、いいきっかけをいただいたと思っています。
  • 地域での人間関係を紡ぐお手伝いで応援 北川聡さん(木祖村お六櫛組合)
    • 木曽ペインティングス北川聡さん
    • 木曽ペインティングスお六櫛の端材を使った菅野由紀さんの展示(vol.3「夜明けの家」より) 撮影:岩熊力也
    私はただの近所のおっさんです。地域おこし協力隊として孫世代の大沢さんがうちの向かいにやって来たということでかかわりを持ち始めました。そのうち彼女が意図する活動の内容もだんだんわかってきたので「ことを起こしたければ、とにかく地域のことを知れ、人のことを知れ」と言ってきました。彼女自身が地域の人に知ってもらわなければ何も始まりませんから。私としてはそこのところを力を入れてきたつもりですが、いちばん耳障りなことを言ってきた存在かもしれません。アートが来た? なかなか素直にはなじめないですよ。それが村の活性化につながればという思いが根底にはありますから、まあ展示があるときは顔を出すようにはしています。アートを観にくる方がお六櫛を買ってくれる層かどうかもわかりません。でもお六櫛の端材を使って作品をつくっているアーティストさんもいるし、入口の一つにはなってくれているんじゃないですか。まあいずれにしても先は短いおじさんですから、知っていることは次の世代につなげるという役目を果たせたらなと思っています。
木曽ペインティングス藤屋レジデンスでの取材に集まってくださった皆さん

今年で4回目、木祖村に舞台を移して2回目となる木曽ペインティングス。一人の切実な想いから始まったアートフェスティバルは、試行錯誤を繰り返しながら導かれるように木祖村にやってきたことで、地域に根を下ろし始めていると言えそうです。眠りから覚めるように、閉ざされていた扉が開き、窓越しに明かりが灯る。アートが温もりを添える街道沿いの景色に誘われるように、近所の人出が増え、道端の話し声が聞こえてくる。派手なインパクトではない、日常に染み込んだ具体的な変化が、すでに感じられているようです。アーティストの好奇心が向かう先は、一見してすぐわかるようなものではないかもしれませんが、地域に活気が生まれることを願う想いは、そこに生きる住民と皆さんと共通しています。木祖村にやってきて活動する若者たちの姿を見て、地域の皆さんも期待ばかりではなく、それぞれにエネルギーを受け取っている様子。そのエネルギーの循環が、村をめぐり、県内外、やがては海外との交流につながっていく、という岩熊さんのビジョンが実現するのは、そう遠くないのかもしれません。

木祖村が持つ、アーティストを受け入れる土壌や度量。それは江戸時代にさまざまな旅人を受け入れてきた宿場の文化、地域のDNAが受け継がれているゆえとは言えないでしょうか。わずか4年目のプロジェクトで3人もの若者が移住したことが、なによりその魅力の証明です。それはアーティストだけでも、地域の皆さんだけでもなく、「アート×木祖村」が生んだ力なのだと思います。これから木曽ペインティングスが地域とともにどんな未来を描いていくのか、その展開を確かめに、木祖村に足を運ぶ機会が増えそうです。

取材・文:いまいこういち(サイト・ディレクター)
撮影:平林岳志

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