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諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化

諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化

諏訪地域は長野県のほぼ真ん中に位置し、八ヶ岳と諏訪湖、そして諏訪湖を挟むように社を構える諏訪大社が有名な場所です。当地の冬の関心事と言えば、諏訪地域特有の冬の冷え込みがつくる諏訪湖の「御渡り」※(おみわたり)。晴天率が高く空気が乾燥しているので、夜間の放射冷却によって温度が下がります。冷凍庫の中のようなピリピリとした寒さを「凍みる(しみる)」と表現します。凍みる寒さと共に暮らしを営んできたこの地域では、昔から様々な方法で「凍み」が利用されてきました。今回の特集では「凍み」の食文化をご紹介します。

※御渡りの表記について
一般的には「御神渡り」と表記されていますが、判定と神事をつかさどる八剱(やつるぎ)神社では「御渡り」を正式表記としています。

凍らせて乾燥させて水分を抜く、保存食で冬を過ごす

まずお伺いしたのは、諏訪大社上社前宮の近くにお住まいの小海嘉介(こかい かすけ)さん、栄子(えいこ)さんご夫婦です。長く郷土のお祭りなど様々な文化に携わり、その歴史を伝えていらっしゃるのでしょう、ご自宅には諏訪大社や御柱祭にまつわる品々とともに、地域の子どもたちの寄せ書きも飾られていました。優しい響きの諏訪弁で、寒天製造が盛んであった地区の歴史をお話しくださいました。

諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化かつては氷餅をつくられていた小海嘉介さん、栄子さんご夫妻

嘉介さん
「この辺りは“半日村”と言われていて午後3時前には陽が陰ります。それが良い寒天をつくる条件に合うので天や(寒天製造業者のこと)が多かったんです」

栄子さん
「にぎやかでしたよ。私たちが学校に通っていた時分は、冬になると学校に着くまでの田んぼ全部に、寒天が干してありました。その時期だけ飯山市や伊那市から人が働きに来ていましたね。今だと北海道から男手が働きに来ています」

戦後、300軒ほどの寒天屋さんが、たくさんの人を使って冬の時期に一斉に寒天をつくっていたのです。特に寒天製造業で栄えた茅野市内には、昔は数百人もの芸妓さんがいて、“寒天芸者”と呼ばれ、道中姿で踊り練り歩く風景も見られたとか。寒天製造は、行商人が京都から技術を持ち帰って、農家の副業として広がったと言われています。諏訪地域の寒天は、四角い柱のような棒状で、岐阜県名産の糸寒天や粉寒天に対して棒寒天(角寒天)と呼ばれています。

諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化諏訪地域ではこれが一般的な棒寒天

お話を伺いつつ見せていただいたのは、キラキラと輝く白い粉。こちらは氷餅(こおりもち)を粉にしたものでした。和菓子の仕上げにまぶして、お飾りとしたり、砂糖と一緒にお湯で溶かし葛湯のようにもできます。氷餅は江戸時代に諏訪藩の献上品として高島城で独占してつくられました。諏訪地域の氷餅は、煮溶かしたもち米粉を型に流し入れたものを使って、凍らせたり乾燥させたりを繰り返してつくります。小海さんの家業は100年続いた氷餅屋さんでした。そこで10年前につくられたものが、今でも使える状態で保存されていました。棒寒天も氷餅も別々に諏訪地域に入ってきた物なのに、同じような製法なのが面白いですね。

諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化餅米でつくられた氷餅

嘉介さん
「みんな理屈は同じです。凍らせた後に乾燥させると、長持ちする。凍みを利用して乾燥させているから、本来、消費期限はない。悪くならないのです。保存っていうのが目的だったのでしょう」

諏訪地域ではほかに凍み大根や凍み豆腐といった食品も、農家の冬仕事として各家庭でつくられ、保存食として食べられてきました。栄子さんによれば、藁を編んで吊るした凍み豆腐をそのまま籠に入れ、背負って街場に売りに来る姿もあったとか。

嘉介さん
「このへんでは氷豆腐と言っている、とても歴史のある食品です。地区に、210年前の御柱祭の記録が残っています。7年目ごとに行われる御柱祭の時には、信州中から集まった城主の御使いが宿泊する場所になりました。地主さんや庄屋さんが出した料理の献立には、干豆腐と記載されているんですよ」

  • 諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化氷餅は干す時は新聞紙を巻くが、出荷する時はこれをすべて剥ぐとのこと
  • 諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化氷餅の素になる煮溶かしたもち米粉を枠に注ぐ栄子さん(10年ほど前の風景)

寒天を使った天寄せが彩り豊かに並ぶ

古い歴史のある凍み食材ですが、残念ながら、軒先で凍み大根や凍み豆腐を干す風景は珍しいものになってきています。暮らしの変化で、保存食に頼る必要はなくなりました。今でも、つくられる機会が多い凍み食材を活かした郷土料理の代表的なものと言えば、天寄せがあります。天寄せは御柱祭でのお振る舞いにはもちろんのこと、ちょっとした集まりでの持ち寄り料理。各家庭でいろいろな工夫がされています。

諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化緑の食紅を使った天寄せ(左)と卵を使った天寄せ(右)
諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化季節のフルーツを使った天寄せ
諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化胡麻を使った天寄せ(左)と山芋を使った天寄せ(右)

栄子さん
「お葬式の時には、ゴマとかお豆腐だけとか、色を使わないようにして。牛乳寒天にはお祝い事の時には赤い食紅、お葬式の時には緑色の食紅で色をつけるのが慣例です。今でも、集まりがあれば、各々につくって持ち寄ります」

優しい甘さの卵の天寄せは、煮溶かした寒天の良い加減のところに生卵を流し入れてつくります。練りごまを使ってつくる天寄せも、昔はゴマを摺るところからやっていたから、手を掛けたおもてなしの品でした。くるみや味をつけた椎茸の角切りをお豆腐と一緒に寄せるおかずになる天寄せもありますが、基本はお菓子・デザートとして饗されます。それにしても、ゼリーのような見た目なのに、蒲鉾のようにお箸で持ち上がるとは知りませんでした。

栄子さん
「天寄せをつくるには、やっぱり棒寒天じゃないとね、と思ってしまいます。ほかのだと水っぽくなるような気がしてね」

自然の力を使う食材づくりは、気候変動・消費の変化で昔のままとはいかない部分も

諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化生天を干し始めたころは、まだ水分がたっぷり含まれている
諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化凍らせて、溶かしてを繰り返して寒天になっていく
諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化完成に近づいた状態に
諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化完成した寒天はこのようにして出荷を待つ

残念ながら、凍み食材を製造する会社は年々減り続けています。それは、寒天でも、氷餅でも同じ状況のようで、嘉介さんによれば氷餅屋さんも今では諏訪市内に2軒残るのみとか。
現代の寒天製造の現場はどんな状況なのでしょう。数年前から、今後に向けた独自の取り組みを開始している、有限会社イリセン代表の茅野文法(ちの ふみのり)さんを訪ねました。

イリセンは昭和17年に個人商店として開業し、80年ほど続く寒天製造業者で、茅野市内でも八ヶ岳連峰の最北端、蓼科山に近いエリアに作業場を構えています。ミキサー車のドラムのような大きな洗浄機が私たちを迎えてくれました。寒天の材料となる天草をこれで2日間かけて洗った後、木製の大きな桶で周囲を囲ったような大釜で煮出していきます。この桶状の釜は今ではつくれる人が居ないのでは、とのことで、大切に受け継がれていらっしゃるようでした。

  • 諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化天草を洗う洗浄機
  • 諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化天草を煮る大釜
  • 諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化煮た天草を太い棒で絞って濾(こ)す
  • 諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化切り出す前の生天、これを器具を通して細くしたものが、ところ天になる

茅野さん
「街場の環境が変わっていく中、弊社には創業当初の環境が運よく残っています。受け継がれた設備と、蓼科山の美味しい地下水と、寒暖差があり乾燥もする気候が良質な寒天をつくります。角ばった棒寒天をつくるには凍らせた寒天が徐々に解けていくことが必要なのです。一気に解けてしまうと、潰れてしまいます。ふんわりと仕上がるのは、日中でもマイナス2度ほどにしかならない、この地域の特徴があるからです」

諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化イリセン4代目の茅野文法さん

寒天製造は「課題多き産業」であると茅野さんは言います。10年前は、条件の良い年であれば3月まで寒天をつくることができましたが、現在では、温暖化のためか2月に入ると日中の気温が上がってしまうことも多く、生産期間が1カ月も縮んでしまったというのです。材料の天草も環境変化の影響を受け、現在では高価なものになりつつあります。

  • 諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化寒天の材料となる天草
  • 諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化他所では捨ててしまうことも多い大釜に残った寒天の素も安価な商品に
  • 諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化直売所での販売や寒天製造体験などの新たな取組も実施している
  • 諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化寒天製造体験を行ったお客様に手書きのパッケージをつくってもらう

イリセンがとった対策は、変動していく気候に合わせた製品づくりでした。一番寒い時期に製造する棒寒天は、手間も人手も必要です。そこで凍みが緩む時期に、あえて小さいサイズの寒天をつくることに。寒天のサイズが小さければ、力のない女性でも働くことができます。また短時間で作業を終えることもできます。逆に、角張った形に愛着を持つお客様が多い棒寒天を守ることにもつながります。

茅野さん
「棒寒天ができるのは諏訪地域だけだと言われています。昔から棒寒天を利用してくださっているお客様は“棒寒天でつくった天寄せは角が効く”とおっしゃいます。ピシっとして、持ちが良い、と。必要としてくれる人がいるのだから、つくり続けたい。一方で、若い方は扱いやすい粉寒天を選択されるでしょう。棒寒天だけをつくり続けることが難しくなってきている状況もあります」

  • 諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化凍みの食文化を担う地域の皆さんと「凍みでつながるプロジェクト」を結成
  • 諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化直売所では凍み豆腐も干している
  • 諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化茹でてから干す凍み大根
  • 諏訪地域の寒さを味わう凍みの食文化地域のりんご農家とも協力して干しりんごにも取り組み始めた

凍み豆腐の製法を受け継ぎ、守っているお豆腐屋さんなど、凍み食材の生産者さんたちとの「凍みでつながる」新たなプロジェクトも立ち上がりました。作業場の広いスペースを活かして、イリセンでは2年前から凍み豆腐や凍み大根も扱いはじめています。地域の人には懐かしく、県外からやってくるお客様からは珍しいと好評です。お話を伺っていると、寒天などの凍み食材への可能性をまだまだ感じていらっしゃるのが伝わってきます。伝統に則った手法であっても、変えられる部分が残されている、と、イリセンの奮闘は続きます。

諏訪地域の冬の張り詰めた空気、しみいるような寒さは、人びとの生活に様々に影響してきたことがわかりました。小海嘉介さんが「カップラーメンも信州のこの技術に気がついてできたんだよ」と笑顔でお話くださった姿が印象に残ります。茅野さんが伝統的な手法を見直し新たなアプローチを続ける姿や、想いの強さに驚かされます。共通しているのは、厳しい気候や生活環境を逆手にとって活かしてきた先人の知恵や技術、これまで紡いできた歴史への敬意です。諏訪地域の「凍み」をうまく活かした、地域の伝統風景が守られることを期待して、取材を終えました。

取材・文:石田名保子
撮影:モモセヒロコ

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