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長野県伊那文化会館「かみ派の美術-諏訪につどった前衛たち 1969-1974」

長野県伊那文化会館「かみ派の美術-諏訪につどった前衛たち 1969-1974」

2026(令和8)年1月31日から3月1日まで、長野県伊那文化会館で「かみ派の美術―諏訪につどった前衛たち 1969−1974」が開催されました。

展覧会のテーマとなった1960年代後半頃は、日本社会において制度や価値観への疑問が高まり、美術の世界でも表現のあり方が揺らぎ始めていた時期です。長野県諏訪地域には、絵画や彫刻といった物質的作品から距離をとり、「ことば」や「行為」を通して社会や思想と向き合おうとする前衛的な表現者たちが集まりました。

当時、下諏訪町には観念美術を提唱していた松澤宥(1922〜2006)が活動しており、全国的にも知られた存在でした。これまで前衛芸術は松澤宥を中心に語られることが多くありましたが、本展ではその視点を広げ、松澤宥の周囲で展開された集団的なイベントや個々の作家の活動に焦点があてられています。およそ12の集団的イベントと26人以上の表現者、約300点にのぼる作品や資料。写真や書簡、展覧会資料などを通して、当時の実践と関係性が提示されました。

本展の企画に携わり、10年以上にわたり松澤宥とその周辺の前衛芸術を調査してきた長野県伊那文化会館学芸員の木内真由美さんと、共同監修を務めた一般社団法人戦後芸術資料保存の細谷修平さんに話を聞きました。

かみ派の美術-松澤宥の周縁に広がった実践

今回の展覧会の出発点は、2016(平成28)年に茅野市美術館で開催された「在る表現―その文脈と諏訪」にさかのぼります。当時、長野県信濃美術館(現・長野県立美術館)の学芸員だった木内さんは、そこで松澤宥の家族と知り合い、下諏訪の自宅に招かれました。

写真:かみ派の美術伊那文化会館学芸員の木内真由美さん

木内さん
「私自身は、松澤宥の作品を実際に見る機会は多くありませんでした。教科書的な知識として、日本を代表するコンセプチュアル・アーティストであることと、白いスーツをまとってパフォーマンスを行う姿から、独自の精神世界を探求し続けた芸術家という強い印象を抱いていました」

しかし、松澤宥を調査研究していく中で、その印象は大きく変わりました。

木内さん
「伝説の部屋ともいわれるプサイの部屋をはじめ、自宅には資料が山のように残されていました。生涯、作品を売らなかったといわれる松澤宥自身の作品もありましたし、多くの作家から送られた郵送物や、共同で行われたイベントの記録も残っていました。松澤宥の背後に、こんなにも多くの人とのやりとりがあったのかと驚きました」

1964(昭和39)年に「オブジェを消せ」という啓示を受けたとし、観念美術へと向かった松澤宥。その実践は一人で完結するものではなく、多くの表現者と影響を受け合う関係のなかで展開していったことを実感したといいます。木内さんは、こうした関係性そのものを記録として残す必要があると感じたといいます。その熱量のまま、2017(平成29)年には、長野県信濃美術館の同僚であった瀬尾典昭さん、(一財)松澤宥プサイの部屋の理事だった嶋田美子さんや長沼宏昌さん、今回の展覧会を共同しておこなった細谷修平さんらと、松澤宥とともに活動した美術家や批評家へのオーラルヒストリーが実施されました。

写真:かみ派の美術展覧会のチラシには、1971(昭和46)年「音会(おんえ)」の写真が使われた。
下諏訪町の山中で行われた音のイベントに総勢30名余りが集った様子を写している

木内さん
「松澤宥を中心に語られがちなんですけれど、一人ひとりの作品を見ると、それぞれが個性的。売れる作品を作ろうとしているわけではなくて、その人の精神性とか、生き方そのものが出ている。そのことが、だんだんと見えてきました」

2022(令和4)年、長野県立美術館で開催された「生誕100年 松澤宥」展は、松澤宥の生涯と業績を、県立美術館としてあらためて提示する展覧会でした。長野県に松澤宥という作家がいることを、きちんと県内外に示したいという思いもあったといいます。木内さんは担当学芸員としてこの展覧会に携わりました。生誕100年という節目の展覧会をやり遂げたことで、改めて見えてきたこともあったといいます。

木内さん
「松澤を紹介することはある程度できた。でも、その周りにいた人たちを、まだ十分に見せられていないという感覚が、ずっとありました。このまま何もしないでいいのかな、と感じたんです」

その時の想いが、今回の展覧会へとつながっていきました。

周縁の表現者たちをひもとく

1969年から74年頃にかけて、諏訪を主な舞台に展開された一連の活動。今回の展示では、「美術という芸術幻想の終焉」展や「ニルヴァーナ」展など、およそ12の集団的な出来事が紹介されています。ただ、木内さんが強調するのは、それらを「松澤宥を中心とした動き」として語り直すことではありません。

木内さん
「松澤宥のまわりでは、多くの人々の表現や出来事が交差し、互いに影響し合いながら同時に生起していました。それが象徴的に表れたのが、1977(昭和52)年のサンパウロ・ビエンナーレです。松澤は《九想の室》という自身の言語による作品を展示すると同時に、1969〜74年頃に行われた周囲の作家たちの行為による表現の写真を会場に配置しました。自身の観念的な作品空間のなかに、他者の実践を組み込んだのです。そこから見えてくるのは、松澤の観念芸術が孤立した思考の産物ではなく、周囲の作家たちとの関わりのなかで体系化され、影響を与え合いながら形成されていったという事実です」

  • 写真:かみ派の美術およそ12の集団的イベントと26人以上の表現者、約300点にのぼる作品や資料が展示された
  • 写真:かみ派の美術

では、それらの作家たちはどのような人たちだったのでしょうか。今回の展示では、一人ひとりの表現に光を当てています。会場には、それぞれの作家の作品や記録が個別に紹介され、その思考や実践の違いが浮かび上がっていました。

木内さん
「学生だった人、教員として働いていた人、広告業界に進んだ人もいました。芸術活動だけでお金を稼げるわけでもないし、お金を稼ぐためにやっているわけでもない。競うものでは全くない。彼らの活動は、名声や市場とは距離を置いたものだったからこそ、その人の生き方や精神性が色濃く表れています。自らの思考や精神性を表現するために、儀式的な行為や身体を用いた実践、言語による作品の制作や郵送による交換など、多様なかたちが試みられていました」

高度成長期の只中で、物質ではなく観念や行為へと向かった彼らの姿勢は、いま改めて見つめ直される視点を含んでいます。個が競うのではなく、交差しながら形づくられていった表現。その軌跡が、諏訪という場所で確かに積み重ねられていました。今回木内さんがこの時代にあらためて光を当てたのも、今につながる問いを感じたからだといいます。物質的な豊かさが前提とされる社会のなかで、あえて観念や行為に向かった姿勢。その在り方は、現在の私たちにも通じているものでした。

こうした再読の視点を支えているのが、長年にわたる調査研究です。松澤宥とその周辺の動向を継続的に追い、資料を精査してきたのが、共同監修を務めた細谷さんでした。

資料から見えてくる前衛芸術のネットワーク

今回の展覧会を共同監修した一般社団法人戦後芸術資料保存で代表理事を務める細谷修平さんは、2014(平成26)年頃から、松澤宥のもとに残された膨大な資料の調査に入っていきました。

もともと松澤宥の研究は国内外で進められていましたが、細谷さんが調査に入ったとき、松澤宥のもとには想像以上に多くの資料が残されていました。そこには松澤宥自身の作品や思考に関するものだけでなく、1950年代以降の戦後芸術に関わる資料が大量に含まれていたといいます。

写真:かみ派の美術一般社団法人戦後芸術資料保存 代表理事 細谷修平さん

細谷さん
「松澤さんのところには、戦後前衛芸術が展開していく1950年代から70年代、さらに80年代以降にまで及ぶ資料が膨大に残っていました。松澤さん自身の作品に関わるものだけではなく、その周辺の表現者たちの活動や同時代の文化・芸術に関するものもたくさんありました」

こうした資料を整理していくなかで、まず本という形で記録を残すことが構想されました。展示よりも先に、調査の成果をまとめた書籍をつくることが検討されていたといいます。その作業を進める過程で、これまであまり言及されてこなかった1970年前後の表現者たちの足跡が、少しずつ見えてきました。

写真:かみ派の美術木内真由美+細谷修平+大司百花+古家満葉(編)『かみ派の美術 諏訪につどった前衛たち1969–1974』水声社、2026年

細谷さん
「今回取り上げた方々は、一回性のパフォーマンスなど、作品が残らない、作品を残さない表現を選んだ人たちです。既存の美術史は基本的に作家・作品主義なので、作品が残っていないと取り上げられる機会が少ない。同じ時代に同じような熱量で仕事をしていた人たちが、作品が残っていないという理由だけで歴史から抜け落ちていく状況を変えていきたいと思っています」

だからこそ、今回の展示では作家個人の紹介だけでなく、地域や表現ジャンルを横断したイベントや郵送物、写真、チラシといった紙資料が重要な意味を持ちました。細谷さんは、今回の展示の肝は「表現者同士のつながり」にあると話します。

細谷さん
「この人はこのイベントに関わり、この人は他の地域の作家とつながっている。そうした関係が網の目のように広がっているんです。作家一人ひとりを単独で見ることもできますが、それ以上に表現による交流が見えてくるところが、今回の展示の面白さだと思います」

作家一人ひとりの活動だけでなく、出来事や交流の関係をたどっていくことで、当時の前衛芸術がどのようなつながりのなかで生まれていたのかが見えてきました。

コミュニケーションを問い直す前衛芸術

こうした表現者同士の交流や集団的な活動をいま読み直す意味について、細谷さんは当時の社会状況に触れながら説明します。

細谷さん
「1970年前後は、大阪万博をきっかけに広告産業やマスメディアが急速に広がっていった時代でもあります。人々の身体性がだんだん受け身になっていくというか、情報を受け取るばかりになっていく状況が生まれていった。そういったなかで、表現によってどのように人と人のコミュニケーションは可能なのかということを、彼らは模索していたといえるでしょう」

写真:かみ派の美術自主企画展覧会「ひらかれている」(1972年3月5日〜12日)。メタ展覧会とされ、「展覧会」や「美術館」に制約される時間や場を超えて、会期以前からその後まで続けていくことが目指された

さらに細谷さんは、その問題意識は現在にも通じていると指摘します。

細谷さん
「メディアのレイヤーがどんどん複雑になっていって、いまはSNSなどを通じて多量の情報が一方的に流れてくる時代でもあります。そう考えると、1970年頃に起きていた問題は根本は変わっていなくて、もっと深刻な状況になっているともいえます。だからこそ、コミュニケーションや集団性をもう一度考えようとした彼らの活動は、いま再読する価値があると思います」

今回の展示は、そうした表現の試みを資料から読み直す場にもなりました。完成形ではなく、ここから先の前衛芸術の研究や展示につながるための足場だといいます。

細谷さん
「最初の踏み台は作れたかなぐらいです。この踏み台を使って、これから次の研究が進んでいけばいいと思っています」

今回紹介された表現者たちは、諏訪だけで活動していたわけではありません。京都や岡山など各地とつながりながら、当時の前衛芸術のネットワークを広げていました。

細谷さん
「今回取り上げた人たち以外にも、重要な仕事をしたたくさんの表現者がいます。各地に前衛芸術の活動は残っていて、未だ十分に掘り起こされていないものも多い。資料からたどっていくことで、美術史の地図を少しずつ書き換えたり、拡張していくことができるんじゃないかなと思っています」

写真:かみ派の美術松澤宥を中心に若い表現者が集まった「美学校諏訪分校」。交流や実践の場となっていた

また、今回のように周囲の作家たちに目を向けることで、松澤宥という作家の見え方も変わってくるといいます。松澤は諏訪に拠点を置きながら、若い表現者たちを受け入れ、交流の場をつくっていました。そうした関係のなかで、彼自身の観念美術もまた形づくられていった側面があります。

細谷さん
「松澤さんは、諏訪で受け皿になった人でもありました。若い人たちは松澤さんに精神的に支えられた部分もあったと思いますし、一方で松澤さん自身も、彼らの存在に支えられていたところがあったんじゃないかと思います」

諏訪という場所で交差した表現者たちの思考と実践。それは一人の作家の活動というより、互いの関係のなかで形づくられていった試みでもありました。半世紀を経たいま、その実践は、表現を通じて人と人はどのようにつながることができるのかという問いを、あらためて投げかけてくれているようです。

近年、戦後の実践を資料から見直そうとする動きは各地で広がりつつあります。地域の学芸員や研究者が、それぞれの土地に残された活動を掘り起こし、これまで十分に語られてこなかった表現の軌跡をつなぎ直そうとしています。今回の展示にも、県内外から多くの学芸員が足を運びました。

写真:かみ派の美術今回取り上げられた芦澤泰偉さんを招いたトークイベント(2月21日)。写真提供=(一社)戦後芸術資料保存

その関心は専門家にとどまりません。会期中に行われたトークイベントには想定を上回り約100人の来場者が集まり、若い世代の姿も見られました。諏訪という場所で起きていた実践が、いま改めて多くの人から注目を集めています。

それは松澤宥という一人の作家を中心にした出来事というより、さまざまな表現がゆるやかにつながりながら生まれていた時間でした。今回の展示は、その網の目のような関係の一端を、残された資料から浮かび上がらせた珍しい試みでした。

取材・文:田中聡子
撮影:大木洋

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