CULTURE.NAGANO長野県文化芸術情報発信サイト

特集

暮らしの中にもっとアートを。自由な表現をはぐくむ「アトリエももも」の挑戦

暮らしの中にもっとアートを。自由な表現をはぐくむ「アトリエももも」の挑戦

「アトリエももも」は、子どもから大人まで誰もが自由に創作や表現をおこなうアトリエ活動。長野県茅野市にある地域住民の交流拠点「荒神の古民家」で月5回ほど開催しています。

2020(令和2)年に「アトリエももも」を立ち上げたのは、学芸員の資格を持ち、重度の障害があるお子さんを持つ鈴木真知子さんと、芸術療法士の西川直子さん。障害の有無にかかわらず、誰でも参加できる「ほりでいのオープンアトリエ」、静かな場所で創作活動をする「しずかなアトリエ」など、現在は9名のスタッフとともに、予約制でアトリエを開いています。利用者数は月にのべ40名、年間ではおよそ500名程度。7年目を迎えた「アトリエももも」は今、次のステージへの模索を始めているといいます。立ち上げたお二人の思いと、利用する人たちの声を聞きました。

アトリエ活動を続けるための「もももフェス」。雪の中集まった80名

2025(令和7)年1月末の土曜日。茅野市の住宅街にある「荒神の古民家」を訪れると、子どもから大人までたくさんの人でにぎわっていました。建物の中には、フリマコーナーやクラフトブースなど、ところ狭しとお店が並んでいます。正午過ぎの到着でしたが、50人前用意したというおむすびセットは既に完売していました。

写真:自由な表現をはぐくむ「アトリエももも」の挑戦アトリエ活動を続けていくためのお金の循環を考える「ハッピーマネープロジェクト」として「もももフェス」が開催された

この日は「アトリエももも」(以下、「ももも」)にかかわる人たちが集まっての「もももフェス」。「ももも」を続けていくためにそれぞれの出店者は売上の一部を寄付し、今後の活動資金に充てることになっていました。

クラフトブースを出店していた小学生の姉弟は、「ももも」ができた当初から6年間通っているとのこと。近くにいたお母さんに「ももも」を利用するようになった経緯を聞いてみました。

「私はもともと仕事を通じて、子どもたちにとって自由な創作やアートが大切だという考えに触れていました。でも、保育園では決められた枠やテーマの中でアートをするのが当たり前で。もっと自由にできるところはないかな、と思っていた時に『ももも』を知り、行ってみたら子どもたちもとっても楽しかったみたいです」

写真:自由な表現をはぐくむ「アトリエももも」の挑戦好きな色のスライムにビーズなどをデコレーションして袋にいれる「スライムスクイーズ」のブース
  • 写真:自由な表現をはぐくむ「アトリエももも」の挑戦大人も子どもも、思い思いに創作をする
  • 写真:自由な表現をはぐくむ「アトリエももも」の挑戦「楽しくて…」といいながら真剣に絵付けをされていた女性
  • 写真:自由な表現をはぐくむ「アトリエももも」の挑戦自分だけのオリジナルシールがつくれるというブース
  • 写真:自由な表現をはぐくむ「アトリエももも」の挑戦作品を展示・販売もしていた

最近出入りするようになったという親子も含め、「本人の自主性を尊重して『どうしたい?』と聞きながらやってくれるスタッフの対応が、とてもありがたいんです」と皆、口を揃えます。

脳梗塞で半身が麻痺しているという男性は「僕が描いた絵を小さな子が『これ持って帰っていい?』と言ってくれて、すごく嬉しかったんです」と微笑みました。

また、ハンドマッサージのブースを出していた「ももも」のスタッフは、「この場所は、みなさんの居場所であり、私の居場所でもあるんです」と話してくれました。

写真:自由な表現をはぐくむ「アトリエももも」の挑戦どうしたらアトリエ活動を続けていくための資金ができるかを話し合った

フェスの後半では座談会が開かれ、「ももも」を続けていくための方法を話し合い、「個展を開こう」「定期的にマルシェをやろう」などさまざまな意見が出てきました。その中で、ある参加者がこんなことを言っていました。

「世の中にはアートが足りなすぎる。もっとみんながアートをできる世の中になったら、悩みが減ると思う」

「アートが足りない」とは一体どういう意味なのでしょうか。そして、「アート」を通じて人が集まる「ももも」とは、いったいどんな場所なのでしょうか。

何年も家に引きこもっていた人が「ももも」を通じて社会につながる

「今まで何年も家にひきこもっていた人が『ももも』での創作をきっかけに就職したんです」

そう話す西川さんは、「ももも」を立ち上げた一人です。

「大人数や賑やかな場所が苦手な人にむけて開いた『しずかなアトリエ』には、引きこもっていた人たちがたくさん足を運んでくれました。そしたら、みんな半端ない芸術作品を作ってたんですよ。それで、展覧会に出してみたら?と勧めて出展した人が、もっと社会に出たくなって、『画材代を稼ぎたい』と就職したと聞きました」(西川さん)

写真:自由な表現をはぐくむ「アトリエももも」の挑戦「アトリエももも」共同代表の西川直子さん(左)と鈴木真知子さん(右)

隣でうなずくのは、西川さんとともに「ももも」を立ち上げた鈴木さん。もともと学芸員としてキャリアを積み、障害のある次男を出産したのちに、現在は生活介護事業所で働いています。

2人は2020(令和2)年にアトリエ活動をスタートし、通ってくる人たちのさまざまな変化を目の当たりにしてきました。自分の表現を歌に見出した人、詩を書くようになった人、大好きなお相撲をテーマにかるたやうちわなどのグッズをつくる人…。小学1年生の時に通い始めたある子は、小学6年生になった時に八ヶ岳美術館で展覧会を開いたといいます。

「彼女は最初、今とは全然違う雰囲気でした。ここでいろんな画材に触れて、自分の中にある『描きたいもの』をどうやって表現すればいいかっていうのをだんだん掴んでいったんだと思うんですよね」(鈴木さん)

写真:自由な表現をはぐくむ「アトリエももも」の挑戦アトリエにはたくさんの画材を準備している

「本当はみんなアーティストなんですよ」と西川さんは言い切ります。

「ももも」に沢山の人が集い、さまざまなドラマが生まれる背景には、いったい何があるのでしょうか。

生きづらさの当事者としてアートに癒やされた

東京で生まれ育った西川さんは、幼い頃からどんなに頑張っても読み書きができず、0点を取るたびに母に叱られたり、学校でいじめられたりしてきました。自分でも「何かがおかしい」と感じていたものの、当時は何が原因なのかはわかりませんでした。

「図工の先生が面白い人で、私の表現をよく褒めてくれて、絵を描くことだけは好きでした。その先生がいて、絵が描けたから学校に行けました」

落ち込んだ時に何か創作表現をすることで元気になり、今まで生きてきた中でずっとアートに癒やされてきたと話します。

写真:自由な表現をはぐくむ「アトリエももも」の挑戦幼少期を振り返る西川さん

違和感を抱えたまま大人になり、在日外国人の電話医療相談の仕事をしていたとき、あることに気が付きました。

「からだの病気を心配して電話をしてきても、聞いてみると実は心の病気や悩みだったりしたんです。言葉が通じない外国人もいたので、言葉じゃない何か別のもので癒やすことができないかなって考えていました」

西川さんは幼少期に自分が癒やされたアートを思い起こし、アート活動をしている病院や施設に飛び込みます。このとき、アトリエでアートを通じて元気になっていく患者の姿をまのあたりにし、「芸術療法(アートセラピー)」に興味を持つようになりました。

芸術療法とは、自由に表現した作品やその創作プロセスを通して、そこに映し出される自分自身と対話をし、主体的な感覚を取り戻すことで自らの心を癒やす力を引き出す心理療法です。

…とはいうものの、「芸術療法を言葉で説明するのは難しい」と西川さんはいいます。それまでの自身の経験から、「学問として学ぶならこれだ」と考えるようになりました。

写真:自由な表現をはぐくむ「アトリエももも」の挑戦「ももも」の活動で使うアトリエスペース

2001(平成13)年、西川さんは、芸術療法士が国家資格であるイギリスに渡ります。そこで、自分が幼い頃から感じてきた違和感が、「ディスレクシア」という文字の読み書きに困難を抱える学習障害であることを知りました。

日本でディスレクシアの診断が広まったのは2000年代に入ってからですが、当時のイギリスでは既に支援体制が確立されていました。西川さんは大学を通じて読み書きするための訓練を受け、勉強を続けることができたといいます。そこで芸術療法の修士過程を修了し、帰国後は北関東の精神病院に芸術療法士として就職しました。

「初めはアートセラピーをするアトリエがありませんでしたが、当初働いていた施設の横にゴミだらけの倉庫があり、そこをアトリエにしようと考えて、施設利用者さんと地域の人を集めてDIYプロジェクトを始めたんです。そうしたら施設利用者さんの中に、元々大工や鳶(とび)職だったという人達がいて、彼らはアトリエづくりを通して、本来持っていた力を発揮してどんどん生き返っていきました」

最終的にそこは、西川さん以外の運営者が全員施設利用者という、ちょっと不思議な自立訓練事業所になりました。利用者さんはずっとやりたかった活動をやったり、心のケアとしてアートセラピーを実施したりしました。

こうして、芸術療法士としてのキャリアは順調に積み上がっていったように見えました。ところが2011(平成23)年の東日本大震災で被災したことを機に、アートから少しずつ気持ちが離れていきます。

大切なのは暮らしであり、暮らしそのものがアートだった

「それまでなにをやってもずっと『死にたい』って言っていた人が、震災で世の中がぐちゃぐちゃになったら急に『生きたい』って言い始めたんです。必要なのはアートじゃなかったのか、と愕然としました」

さらに、大きな被害を受けてライフラインがとまり、「アートどころではない」と感じたことも転機となりました。

自給的な暮らしの大切さを突きつけられ、それまでまるで関心がなかった畑仕事を始めます。すると、少しずつ被災した心は癒やされていきました。「大切なのはアートではなく、暮らしであり、もっと原始的なものなのでは」という気持ちが日に日に大きくなっていき、病院でのアートセラピーの仕事から離れることを決断します。

写真:自由な表現をはぐくむ「アトリエももも」の挑戦アトリエスペースの奥には、ゆったりできるスペースも

そんなときに出会ったのが、大町市で開催されていた「原始感覚美術祭」でした。原始的なものへの憧れが芽生えていた西川さんは、この美術祭のボランティアスタッフとして参加します。

「3カ月滞在したんですが、へんてこな人がいっぱいいて、思い切りアートをして生き生きと暮らしていました。そこで出会った芸術家や音楽家や舞踏家たちは、私が病院で見てきた個性的な人たちとどこか似ていました。人間は、病院にいけば病人になるけど、アーティストになれば、アーティストとして生きられるのかもしれない。ならば、アーティストになれるところをつくりたいと思い、そこからまたアートに興味を持つようになりました」

これをきっかけに、これまでのアートセラピーの活動と、震災で気付かされた暮らしの大切さが一つにつながっていきました。今では「暮らしそのものがアートだし、アートをする場づくりも私にとってはアートなんです」といいます。

美術祭をきっかけに2013(平成25)年から長野に住み始め、山梨の福祉事業所で再びアトリエを立ち上げる仕事に携わることになりました。

アートが人間の本質的な変わらなさをつないでくれる

一方、長野市で生まれた鈴木さんは、大学で美術史を学んだ後、学芸員としてキャリアをスタートしました。その後結婚を機に諏訪市に移住し、重度の障害がある次男を含む2人の息子を出産します。

「次男は全介助だったので、地域や地区のイベントにはなかなか連れていけないし、かといって置いていくわけにもいかないから、結局お兄ちゃんも行けない、ということがありました。福祉サービスの中だけで生きていた次男が、家族以外の人と過ごせる居場所が地域にあったらいいな、と考えていました」

写真:自由な表現をはぐくむ「アトリエももも」の挑戦学芸員としてキャリアをつみ、障害児を育てる中で、アートと福祉が重なっていったという鈴木さん

長男が小学校に上がった頃から、鈴木さんは再び学芸員として美術館で働き始めました。
あるとき鈴木さんは、障害のある人の企画展を開催中、作品の前で立ちすくみ、泣いている人を見かけます。

「普通どんなに名画であっても、泣いている人なんていないじゃないですか。でも、名前も知らないし、どこの誰かも分からない人の作品を見て、泣いてるんですよ。私自身もすごく心を動かされました。これはなんだろう、と思ったんです」

企画展を重ねるうちに、誰かの心を突き動かすような作品を生み出す人たちから、出来上がったものを借りてきてただ飾ることに違和感を持ち始めました。
「本当にこれは皆さんのためになっているんだろうか―」
そんな矢先に、運命の出会いが訪れます。

写真:自由な表現をはぐくむ「アトリエももも」の挑戦毛糸は寄付で集まったものだそう

2014(平成26)年に開催された「信州のアール・ブリュット展」で、障害がある人のアートサポートをしていた「ながのアートミーティング」の代表、関孝之さんの話を聞いたのです。

「『障害』といっても人間の本質的なところは何も変わらなくて、社会的な障壁がないところで障害のある人たちの魅力を活かせるのがアートだっていう話だったんですね。なんとなく感じていた魅力を関さんが言語化してくれた気がしました。感動のあまりどわーっと号泣して、その場で『明日からながのアートミーティングに入れてください!』って言ってました」

鈴木さんはながのアートミーティングが主催する「アートサポーター養成講座」に通い、あちこちで講座をする関さんについて回るようになりました。

美術館でも施設でもない、もっとオープンなアトリエをやりたい

次第に「障害のある人が作品を生み出す現場」に一緒にいたいと思うようになった鈴木さん。2016(平成28)年に美術館をやめ、生活介護事業所「この街学園」で働き始めます。

「この街学園」で働き始めて2年ほど経った頃、研修の講師として登場したのが、西川さんでした。

このとき、西川さんは支援者と被支援者の構造ができやすい施設や病院の中ではなく、地域でアートを一緒に楽しむ人同士として出会えるオープンアトリエをやりたいと考え、施設を退職していました。

一方の鈴木さんも、福祉現場でのアート活動には、どうしても福祉サービスの制限があることにもどかしさを感じ、もっとオープンに地域の人と交われるアトリエをつくりたいと思い始めていました。

写真:自由な表現をはぐくむ「アトリエももも」の挑戦「アトリエももも」は「荒神の古民家」を借りて開催している

2人は研修が終わると、近くのコーヒーチェーン店に移動し、そのまま5時間喋り続けて意気投合。「オープンなアトリエをやる」という共通の目標に向かって動き出します。

2人に共鳴した地域の人たちも少しずつ集まり、何度も話し合いが持たれました。
しかし、議論を重ねるほどに、「アクセスのよい場所が必要ではないか」「バリアフリーでなくては」「法人格をとって施設にするほうがよいのでは」など、話はどんどん大きくなっていきました。

「2人で『なんか違うね』っていう話をして。それで、一度全部なしにして、本当に私たちがやりたかったことを2人だけでできる範囲でまずはやってみよう、ってことになったんです」(鈴木さん)

ちょうどその頃、現在も拠点とする「荒神の古民家」を借りてやってみないか、という声がかかりました。

いろいろな人と出会い、お互いの感覚を尊重しあえる場所へ

渡りに船とばかりにその話に乗り、「荒神の古民家」を拠点として体験会を開いたのは、2020(令和2)年の2月でした。「ももも」のネーミングは、鈴木さんの次男が、なにか話したいことがある時に「ももも……」と言うところから付けたのだといいます。

2回の体験会にはそれぞれ30人ほどが集まりましたが、本格的にスタートしようとした矢先、コロナ禍に襲われます。「もう無理かもしれない…」と諦めかけた2人の元に届いたのは、「数時間でもいいからやってくれませんか」という悲痛な声でした。

コロナ禍で学校が一斉に休校になったり自粛が求められたりした時期、障害のある人は福祉事業所などに行き場が保障されていました。ところが、「障害」ではないがゆえに制度からこぼれ落ちてしまった人がいたのです。

「学校がなくなってしまって、かといって家で一人ではいられないという子の親御さんから声が届いたんです。それじゃあ開けよう、ということで開けました」

1回6人までの予約制、1人2000円でスタートしてみると、毎回予約がいっぱいになりました。「コロナで居場所を失った人は、子どもよりもむしろ大人の方が多かった」と2人は振り返ります。

写真:自由な表現をはぐくむ「アトリエももも」の挑戦「ももも」の看板も、スロープも、全部手づくり

以来、その時々のニーズに合わせて、開催方法を模索しながら続けてきました。
現在のアトリエは、もともと使っていた居間スペースの隣にあった蚕部屋。大家さんに使用許可を得てDIYプロジェクトを始動し、自分たちできれいにしました。

スタッフは、このときDIYを手伝ってくれた人や、西川さんが独立後に開催したアートセラピー講座を受講した人など、現在は全員で9名。

中には福祉施設で働きながら「ももも的なエキスをじわじわと自分の職場でも浸透させています」というスタッフもいました。それぞれに仕事を持ちながら、思いを共にする仲間が活動を支えているのです。

「スタッフにはできるだけしっかり人件費を払って、アートで生きていける場所にしたいと思っています」と西川さん。

2021(令和3)年には茅野市の「子どもの居場所づくり推進事業」として「こどもアトリエ」を開始しました。静かに創作活動をしたい人のための「しずかなアトリエ」は、2024(令和6)年から信州アーツカウンシルの助成を受けています。

「信州アーツカウンシルの助成は3年間なんですよ。3年後には、給付とか助成金には頼らずに、地域のいろんな人の力を借りてやっていける自立した組織になっていたいと思っています」(鈴木さん)

「もももフェス」では、普段は交わることのない「しずかなアトリエ」の利用者と通常のアトリエの利用者が、自然と混じり合っていたことが印象的だったと2人は話しました。

言葉ではないアートの可能性を誰よりも感じてきた西川さんと、言葉という制約を超えてまっすぐに表現する作品に心を揺さぶられてきた鈴木さん。2人が出会ったからこそ、そこにはどんな人でも安心して表現ができる場所が出来上がっていました。

最後に、鈴木さんの次男は今「ももも」に参加しているのですか、と尋ねてみました。

「今は年に数回、私についてくるという感じです。この場所(荒神の古民家)には多目的トイレがないので、ちょっと難しいんですよね。そこも含めて、今後どうしていきたいかをもう一度考えたいと思っています」

写真:自由な表現をはぐくむ「アトリエももも」の挑戦「ももも」が可愛らしく描かれたアトリエの引き戸

取材を終え、アートとは、誰かの感覚を想像してその人と出会うことであり、同時に自分自身の主体的な感覚を取り戻すことなのかな、と考えるようになりました。

そう考えると、「アートが足りていない」現代社会において、自由な表現を育む「アトリエももも」は、私たちが人間として存在し続ける上で欠かせない大切なピースなのかもしれません。

取材・文・撮影:ざこうじ るい

特集

カテゴリー選択

カテゴリーを選択すると、次回以降このサイトを訪れた際に、トップページでは選択したカテゴリーのイベント情報が表示されるようになります。
選択を解除したい場合は「全て」を選択し直してください。