
伝統文化がつなぐ新たな関係・世代・地域 〜 祭り芸能の担い手座談会【開催レポート】
長野県内各地に伝わる祭りや芸能は、長い歴史を通して育まれた自然や季節との付き合い、日々に暮らしの知恵や楽しみが詰まった貴重な文化資源です。県内には、山、谷、盆地、地域のさまざまな個性が反映された多彩な伝統芸能があります。しかし、その多くが高齢化・過疎化などよって継承に課題を抱えています。
2025年3月1日、長野県と信州アーツカウンシルの主催による「祭り芸能の担い手座談会」が安曇野市豊科交流学習センター「きぼう」で行われました。継承に向けた取り組みを進める担い手の皆さんを迎え、伝統文化がつなぐ新たな関係・世代・地域について、事例を共有しながら意見を交わした様子をレポートします。
伝統芸能の継承のために模索する、新たな取り組み
冒頭、イベントを主催する信州アーツカウンシルの野村政之さんから、今回の趣旨説明がありました。高齢化・過疎化による担い手不足、コロナ禍で中断した祭りを今後どのように開催するかといった課題のほか、農業や四季と深く結びついている祭りを現代社会でどのように展開するのかがそもそもの問題と指摘。「課題はあるが、祭り芸能に触れた人であれば、その魅力や面白さは十分感じているはず。ポジティブな可能性、将来につないでいくきっかけを皆さんと話していきたい」と呼びかけました。

事例紹介では、県内で活動する2つの団体が事例を発表しました。
安曇野市堀金・岩原山神社お舟祭り 継承に向けた試み
岩原祭典保存会会長・尾日向和孝さん、次期会長・三枝修さん
地元で岩原山神社、または山神社と呼ばれる砂渡(すさど)山神社で行われている例祭。曳航する「お舟」は、市内では唯一車輪がない「担ぎ舟」で、市の無形文化財にも登録されています。お舟は長さ9メートル、幅2メートル、高さ4メートルで、重さは1トンほど。「舟張り場」と呼ばれる出発地から境内まで約1キロを人の肩に担いで移動し、最後は境内の坂の下に向かって転がします。
祭りの様子
担ぎ手として少なくとも30人が必要ですが、コロナ禍と担ぎ手不足で2019年にいったん祭りは中断しました(2023年はお舟の展示のみ開催)。2024年、保存会が初の試みとして、女性や地区外にも幅広く担ぎ手を募集。尾日向さんは「氏子や区長との打ち合わせを重ねて募集をかけることのリスク管理をしつつ、地元の新聞やテレビ局などのメディアを活用して広報活動を行いました」と振り返ります。国営アルプスあづみの公園にも協力を依頼し、お舟を展示するだけではなく、公園内に出発地点を設けてもらい、来園者への認知拡大も図りました。結果、地区外から女性6人を含む17人からの応募がありました。地区内の協力も得て、前回開催の倍の担ぎ手、58人が集まり、祭りは5年ぶりの復活を遂げました。

岩原区の氏子総代からは「学校が無くなると村が消える、祭りが無くなると集落が消える」という言葉があったそうです。三枝さんは「コロナ禍以前は、『子ども舟』も作って一緒に曳航していました。子どもの時に担いだ経験が、大人になった時に再び参加しようという契機になると思うので、来年に向けて準備を整えていきたいです」と意欲を見せます。
飯田市南信濃・木沢霜月祭り野郎会 10年の歩みとこれから
木沢霜月祭り野郎会会長・木下隆彦さん
国重要無形民俗文化財「遠山の霜月祭り」は、飯田市上村地区・南信濃地区の各神社で、社殿の中央に設えた釜の上に神座を飾り、湯を煮えたぎらせて神々に捧げる湯立神楽が奉納されます。祭りのクライマックスには、天狗などの面(おもて)が登場し、煮えたぎる湯を素手ではねかけます。
祭りの様子
木沢霜月祭り野郎会は、同地区の祭り好きの若者が集まり、2014(平成26)年に設立。現在は立ち上げ時の倍以上、県外在住者や女性、地域の中学生も含めた10~50代の45人がメンバーになっています。木下さんは「発足当初、祭りの中心は60~70代。若い世代の参加を喜んでくれる人がいた一方、中には快く思わない人もいました」と話します。そこで、3年目までは我慢の時期として、まずは祭りについて学ぼうと、勉強会を開いたり、神事や舞、笛や太鼓の練習をしたり、祭りの準備や片付けに積極的に参加しました。すると、4年目から野郎会に任せてもらうことが徐々に増えたそうです。「そうするとメンバーもやりがいを感じ、楽しみながら祭りに立ち会うことができるようになっていきました」と木下さん。

木沢正八幡神社の霜月祭りは、地域の自治会が主体となって執り行っていましたが、過疎化や少子高齢化に新型コロナの影響もあり、2020年と2021年は神事のみ、そして2022年、自治会主催の大祭は中止とすることが決まりました。それを知り、800年以上の歴史を持つ霜月祭りが消滅する危機だと木沢地区の若手在住者・出身者が立ち上がり、木沢霜月まつり保存会を再結成。運営を担いたいと自治会に申し入れ、半年間協議を重ねて引き継ぐことが決まり、2022年は保存会主催で無事に開催されました。野郎会は保存会の構成団体の一員として協力。祭りの進行をはじめ、湯立、舞、面といった演者、そして準備から片付け、会計までを担っています。2023年には制限を解除して本来の祭りが復活しました。
続いて登壇したのは、(公社)全日本郷土芸能協会理事の小岩秀太郎さん。出身地である岩手県の郷土芸能「鹿踊(ししおどり)」の伝承にも尽力しています。自身が携わる「三陸国際芸術祭」を中心に、全国の郷土芸能継承に向けた試みについて、映像を交えながら紹介しました。

東日本大震災では、東北地域の多くの芸能が被災。その後、「地元のために何かしたい」といった“つながり直す動き”が増えたと言います。2014(平成26)年に始まった三陸国際芸術祭もその一つ。アーティストがパフォーマンスをしに行くのではなく、そこにある踊りを習いに行くという『習いに行くぜ!東北へ』というプロジェクトが発端です。小岩さんは「地域内の芸能団体と、地域外のアーティストが交流し、新しい創造の契機にもなりました」と説明します。
小岩さん自身も、震災後にいろいろな鹿踊の在り方を知ってもらうためのプロジェクト「東京鹿踊」や、地域の文化を発信する事業を行う「縦糸横糸」という会社を展開。さまざまな地域で、祭りが人と故郷をつなぎ、災害からの復興、乗り切る力を与えてくれると言います。その事例の一つとして、郷土芸能を軸とした町づくりを進めている岩手県大槌町を紹介。プロジェクトを立ち上げて郷土のことを調べたり、冊子を作ったり、活動を通じて地元の大学に進学したという人、郷土芸能をテーマにした居酒屋を始めた人もいます。「郷土芸能だけで生計を立てるのは難しい。それでも豊かさという面では意味があると、特に東日本大震災後は感じています」と締めくくりました。
継承の根本となるものは何か
後半は、伊那市を拠点に活動する舞台芸能集団「田楽座」座長の中山洋介さん、飯田市美術博物館学芸員で木沢霜月祭り野郎会のメンバーでもある近藤大知さんに加わっていただき、事例発表をしていただいた皆さんと共に、各地の事例を基に意見を交わしました。

中山さん
「田楽座」は1964(昭和39)年、伊那市で創立した日本の祭りの芸能を受け継ぎ、その魅力を世界に発信する「まつり芸能集団」です。全国各地の郷土芸能保存会のところに習いに行って、舞台で上演しているほか、子どもたちと伝統芸能の出会いの場をつくる活動も行っています。
上伊那地域は、各地域に祭りや伝統芸能があります。その地区の青年会や保存会が継承を担っていますが、各々で頑張っている印象。近い距離にいても、互いを見る機会は少ないですね。
近藤さん
私は普段、学芸員として民俗学、民俗芸能の研究を中心に担当しています。野郎会のメンバーとしても活動していて、私自身は“お祭りバカ”というか、祭り大好き人間。それが高じて今の仕事をしています。
南信州は、天竜川沿いの平坦部と、遠山郷や天龍村のような山間部の地域があり、平坦部は歌舞伎や人形芝居、花火など、山間部は神楽や念仏踊りなどの芸能が伝わっています。特に山間部地域は少子高齢化が顕著で、地域の存続自体が難しいという状況も生まれています。
「田楽座」座長の中山洋介さん
飯田市美術博物館学芸員の近藤大知さん
小岩さん
事例紹介を聞いていて、皆さんの意識の根本となっているものが何なのか、気になりました。
木下さん
一番根本にあるのは神様を身近な存在に感じ、その神様を迎えていくという気持ちです。地域外から来た人にも、神様を身近に感じてもらえるような楽しさを分かってもらえていると感じています。地縁にこだわると関係が乏しくなるのは目に見えています。関わってくれる人の数を維持していく、増やしていくために何をしなければいけないかを考える時期にきていると思います。
尾日向さん
250年の歴史、伝統文化を守りたいというのが一番根本にあります。4年間、祭りを自粛して会員数が減り、このままだと担ぐことができないとなったときに、地域や性別を問わず担ぎ手を募集するという選択をしました。これは、祭りを守るためには時代の変化に対応していかなければならないと考えた結果です。
三枝さん
私たちの地域では、氏子の皆さんも「どんどんやってくれ」という感じで、うまく連携ができました。昨年は、担ぎ手の募集に対して予想を上回る応募がありましたが、今後も同様に募集するのか、さらに改善が必要なのか、試行錯誤しつつ進めていかなければいけないと考えています。

小岩さん
これまでは互いに顔を知っているような関係性の中で、祭りの世界観を作ってきたところもあると思います。そこに新しい人が入ってくると、そうもいかなくなる部分が出てくるのでは…?
木下さん
木沢霜月祭りについては、祭りに精通している先生や、民俗学を研究している会員がいることが強み。まず、霜月祭りがどういう祭りなのかを勉強して、理解してもらってから携わるという形を取れるといいと思っています。
中山さん
私たちは外から祭りに参加している立場です。「自由にどんどんやっていいよ」と声をかけてくれる人もいますが、それを真に受けてのびのびと振る舞っていいのかという葛藤は常にあります。祭りを継承する皆さんが、その日を迎えるためにどれだけ苦労してきたかを想像しなければいけない。主役は、そこで暮らして祭りをつくってきた皆さんですから。祭りの継承は地域で暮らす皆さんの1年間の日々、生活の積み上げの上に成り立っているということを心に留め、歩みをそろえる努力を忘れなければ、おかしなことにはならないのではないでしょうか。
尾日向さん
私たちが担い手の募集をするにあたり、何より大事にしたのは地域内の方々の理解です。「何としてもこの伝統文化を守る」という目的を最初に共有しました。広報活動についても、背景の取材もしっかりしていただき、参加者の皆さんともある程度目的が共有できたので、いい関係を築けたと思います。
若い世代へ伝えていくための、場づくりと空気づくり
木下さん
何年か前に、木沢正八幡神社の1キロほど下流にある熊野神社から野郎会に協力してほしいという依頼がありました。昔は夕方から朝まで神事を行っていましたが、徐々に短くなり、コロナの前は夜中12時頃、コロナの後は9時頃に終わるようになりました。9時に終わったら、子どもも参加ができるとか、翌日の後片付けが楽だとか、意外と評判が良かった。そういう部分も、時代に合わせて変えていくというところですね。
野村さん
次世代への継承という課題もある中で、子どもたちとの関わり方はどのように考えていますか?
木下さん
野郎会へは、遠山中学校から指導の依頼がありました。地域の舞を習って、文化祭で子どもたちが発表しています。舞は地区ごとに違い、子どもたちは3年間で全ての地区の舞と祭りを勉強します。近藤君は全ての舞ができるよね(会場から「おお…」という声が上がる)。

三枝さん
中学校で舞を習えるのはうらやましいですね。若い世代へ伝えていくためには、学校とのつながりは欠かせないと思います。
中山さん
全国高等学校総合文化祭に郷土芸能部門があって、私は愛知県や長野県で審査員をやったことがあります。各学校に郷土芸能部があって、部活で取り組んだ子どもたちが、そのまま地域の保存会などに入ってくることもある。今は部活動の地域移行などで、伝統芸能に接する場が減ってきていますが、地域の文化を見直す行政の動きもあるので、うまく連携が図れればいいですね。
小岩さん
地域資源がこれからの生活に役立つものだと、教育現場でも位置付けてもらえれば。長野県内で言えば、信州アーツカウンシルや南信州民俗芸能継承推進協議会など、行政も交えた形で進めることができれば、大きな強みになると思います。
野村さん
南信州では、南信州民俗芸能継承推進協議会があることで基盤の共有ができている感覚があります。ただ、他の地域にはまだない。地域のコミュニティの豊かな在り方として、子どもにそういったことを伝えていく場を作りましょうという空気づくりが必要だと感じています。
皆さんから事例を聞いて、祭りに関わっている人たちが、祭りに魅力があることを実感できて、それが喜びとして現れていることが大事だと思いました。特に野郎会の話で、中高生が入会を待てず、「すぐに入りたい」と言ってきたというところ。そういう子どもたちの思いを受け止められることも大切ですよね。
木下さん
中高生から強い要望が出たことは、私たちもびっくりしました。野郎会の設立当初は、高校を卒業したら入会できるとしていたのですが、「そこまで待てない」という熱意に、私たちの方が折れる形になった。それで高校生が入れるようにしたら、今度は「高校生まで待てない」という中学生が出てきて、もう、やりたいんだったらやってもらおう、と。小学生はさすがに…と思っていますが、それでも1年生でほぼ神楽歌を歌える子や、祭りの所作ができちゃう子もいますからね。意欲のある子に役を与えると、一生懸命勉強してやってくれる。子どもの数自体が減ってきているという現状はありますが、今は楽しんでやりたい、頑張ってやりたいという気持ちを後押しする方向です。

さまざまな役割が、祭りを支えている
野村さん
地区によって差はありますが、高校や大学で一度、地域の外に出る子が多い。特に南信州は大学が近くにないので、18歳~22、3歳くらいの人が少なくなってしまいます。一つの地域にずっと暮らすわけではないという、今のライフスタイルの問題でもありますが、若者の参加についてはいかがでしょうか?
三枝さん
実は私自身も学生時代に一度、安曇野を離れています。30歳を過ぎてから戻ってきましたが、すぐには参加できなかったです。3年くらい経って、思い切って祭りの打ち合わせに出席しました。そうしたら偶然、尾日向がいて、たぶん本人は忘れていると思いますが…私の顔を見て「誰?」って(笑)。一度離れると、どうしても抵抗はありますよね。学生が参加している野郎会が非常にうらやましいんですが、逆に30~40代くらいで入る人もいるんですか?
木下さん
そのくらいの年代で入る人もいます。でも、最初は抵抗があって、見ているだけという人も多かったかな。「せっかく見ているなら一緒にどう?」と声をかけたことがきっかけで参加して、今は副会長を務めている人もいます。あと、移住者で2年前に入ってきて活動している、ゲストハウス太陽堂を運営している水戸さんという人が会場にいるので…ちょっと、お願いできますか?
水戸さん
私は、たまたま移住してきたのが12月1日、霜月祭りの日で、祭りを見てカルチャーショックを受けました。でも、暮らしていても全然関わることができなかった。野郎会は女性もいますが、面をかぶったり、舞を舞ったりはできないので、ある意味、移住者で女性というのは、祭りと一番縁遠いポジションかもしれません。私も5年間は祭りを見るだけで、祭りを見に来るお客さんとそんなに変わらないことにモヤモヤしていました。あるとき、野郎会の会長さんが宿に来て、その思いを話してみたら「できることをやってくれたらいい」と言ってくれて、そこから関わるようになりました。私は野郎会がなかったら、霜月祭りに関わることはできなかったし、来てくれるお客さんに「祭りをやる側の視点」で魅力を伝えることもできなかった。野郎会にはとても感謝しています。
小岩さん
祭りというと、演者や担い手に目が向きますが、それを支える人たち、道具を作ったり、ご飯を用意したりする人がいるから続けられる。いろいろな役割があるということを認識することが、新しい人が入ってきたり、戻ってきた人が再び関わり直せたりすることにつながると思います。

中山さん
伊那市はIターンが多く、移住者の方はコミュニティを求めています。そういう中で、保存会などに興味を持っている人も意外といると感じています。時代に合わせて変えていく部分も必要ですが、「絶対にこれは残したい」という部分が決まっていないと、変えること自体が難しい。先ほどお話していた、地域の方の理解、目的の共有が大事になってくると思います。
近藤さん
天龍村では、地域おこし協力隊として移住してきた方が祭りの担い手になっています。任期後も定住して関わり続けている方もいます。ノウハウやアイデアを持っている移住者が多く、地域にとっても刺激になっています。
野村さん
会場に、郷土芸能の取材を基に現代の音楽・舞踊作品にクリエイションする「MIKUSA PROJECT(ミクサ・プロジェクト)」を主宰するTorus Vil.(トーラスビレッジ)の佐藤公哉さんがいらっしゃいます。取り組みについて、お願いできますか?
佐藤さん
私はさまざまな音楽を作ってきたんですが、自分の核になるようなもの、日本で生まれ育って、身体性や風土に密接に結びついたグルーブ感、リズム、節回しなどを掘り下げていきたいと考えていたところに声をかけてもらい、地域に滞在して音楽を制作する企画に参加しました。それをきっかけに、ミクサ・プロジェクトを立ち上げて、バンド編成で演奏したり、ダンサーとパフォーマンス作品を作ったりしています。今、進めている活動の一つに、岩手県田野畑村の「大宮神楽」との関わりがあります。保存会のメンバーは19人で、実際に演じるのはその中の5、6人。若い人もいますが、この先どうなるか分からないという状況で、今、伝承のための資料作りの計画をしています。
野村さん
冒頭にも挙げた通り、今の私たちの暮らしは、祭りを中心に栄えていたときとは大きく変わってきています。そういう中で、社会全体としてつなぎ直すことが問われていて、祭りの担い手、関係する人々、信州アーツカウンシルのような“間をつなぐ存在”や、行政、自治会といったさまざまなものが関わること、そして空気感の醸成が大事になってきているということが、今日は共有できたと思います。
担い手の人たちだけに負担がかからないように、社会全体で祭り芸能を継承していけるように、残していけるように、取り組んでいきたいと思います。

終わりに、南信州民俗芸能継承推進協議会アドバイザーの櫻井弘人さんと笹本正治さん、長野県文化振興課課長の水上俊治さんから結びの言葉をいただきました。
櫻井さん
私は遠山地区の出身で、家の目の前にある神社で行われる「霜月祭り」を幼い頃から見続けてきました。以前はこの地域に12の祭りがあり、長年記録してきました。南信州民俗芸能継承推進協議会はリニア中央新幹線の開通を見据えて「これからの南信州をどうすべきか」と議論が起こり、「民俗芸能が重要だ」という声が上がったのがきっかけです。私は「今やらなければ、もうやる時はない」と強く訴えたことを覚えています。
今も課題は多く、民俗芸能の継承や地域づくりの面では十分とは言えません。今日のような意見交換の場は非常に勉強になりましたし、南信州に限らず、県全体、日本全体でこの価値を共有し広げていく必要性を感じました。特に子どもたちが民俗芸能に触れることはその魅力を知ることができ、地域全体で一体となって取り組むきっかけになると思います。このような会が今後も続き、広がっていくことを心から願っています。
笹本さん
私は50年前、阿南町の阿南高校に赴任したことがきっかけで民俗芸能に触れました。教え子に誘われて祭りを見に行き、真摯に向き合う姿に驚き、自分の在り方を見直しました。
地域によっては人が来ないことで士気が下がり、誇りを持てないという祭りもあります。私は文化財の指定を県から国へと引き上げることで、祭りに人が集まり、担い手の誇りにもつながるという経験もしました。教育との連携も大切です。地域文化をどう育て、どう次世代に繋げるか。そして「人」が大切です。地域には必ず先人がいて、その人々の情熱が支えになっています。子どもだけではなく私たち大人も学び続け、変化を受け入れながら本質を大切にして祭りを伝えていく必要があります。
水上さん
民俗芸能は一度途絶えると復活が難しく、地域内外からの参加促進が必要です。移住者やUターン者、アーティストの関与、企業支援など多様な手法を組み合わせて支える仕組みづくりが求められています。
一方で、民俗芸能には神事という面もあります。エンタメ性と伝統性、この両面をどう融合するかによって、外部参加のハードルも変わってくるでしょう。地域ごと、芸能ごとに“正解は一つではない”という認識が大切です。県や信州アーツカウンシルとしては、情報提供や共有の場を作ること、そして地域の核となる人々をどう支えるかが今後の課題です。「南信州民俗芸能パートナー企業制度」のような民俗芸能を支援する仕組みや、今日のような担い手の交流機会の創出などにも取り組んでいきたいと考えています。
祭り芸能の継承に向けて、担い手の人たちだけではなく社会全体でどのような取り組みを進めていくべきなのか。関心ある皆さんと情報や思いの共有が必要です。
長野県と信州アーツカウンシルでは、今年度も引き続き、祭り芸能の継承に関わる取り組みを継続し、今回のようなフォーラムも開催する予定です。興味のある方はお気軽にご参加ください。
構成・座談会撮影:山口敦子(タナカラ)