子どもたちの“体験・学び”の新たなかたち 「みらいハッ!ケン」プロジェクトが描く未来
子どもたちが多様な体験・学びを通じて自分の好きな活動を見つけ、自己肯定感を育みながら成長できる環境を提供することを目指す長野市の独自事業子どもの体験・学び応援事業(通称「みらいハッ!ケン」プロジェクト)。2023年度に経済産業省「未来の教室」実証事業として3カ月間実施され、2024年度以降は市の単独事業として通年で実施されています。
3年目を迎えた現在、3人の関係者に、三者三様の立場から、これまでの活動の状況やプロジェクトへの思い、見えてきた課題と展望を語ってもらいました。
全国初、市内すべての子どもに体験と学びの機会を
長野市内の全小中学生を対象に、スポーツや文化・芸術、自然体験、習い事などに利用できる3万円相当の電子ポイントを配布する「みらいハッ!ケン」プロジェクト。子どもたちは登録された地域のクラブや教室、団体・個人が提供するサービスでの参加費や入会金、月謝等としてポイントを利用し、さまざまな体験や学びの機会を得ることができる取り組みです。今年(2025年)度の登録プログラム数は、体験=281、習い事=759の合計=1040(9月1日時点)。前年度は冬季のスキーやウィンターアクティビティも人気で、最終的に1500ものプログラムが登録されたため、今年度も冬に向けてさらにプログラム数が増えることが予想されます。ポイント利用にあたって所得制限がないのが、この事業の特色の一つ。すべての子どもに多様な体験・学びの機会を提供する全国初の子育て支援事業として注目を集めています。
プロジェクト発足のきっかけは、1998(平成10)年に「子どもたちの参加」を掲げて開催された長野オリンピックまでさかのぼります。当時の子どもたちは大会の観戦や選手との交流、一校一国運動など、本物の体験を通じて多くのことを学びました。それが子どもの成長や、生き方・考え方にもプラスの影響を生んできたとの考えのもと、こうした上質な体験や学びの機会を形を変えて提供することは、オリンピック・パラリンピック開催都市である長野市らしい子育て支援の在り方であるとの思いから、プロジェクトが立ち上がったのです。
山岸さん
「全国には教育格差をなくすための取り組みとして、教育バウチャー(クーポン券)を配布する事業に取り組んでいる自治体もありますが、用途を習い事に限っていたり、所得制限を設けていたりします。それに対し、長野市では既にやりたい習い事を見つけた子どもたちが突き詰めることも大事にしつつ、気軽に体験できる長野市らしいプログラムを通して、未来を担う子どもたちの可能性につながってほしいとの思いで、この事業が始まりました。所得制限がないだけでなく、単発の体験と通年の習い事、どちらでも使えるポイント付与も全国初の取り組みです」
長野市のこども未来部こども政策課 主事・山岸和泉さん。初年度からこのプロジェクトを担当そして市から事業を受託し、運営を担うのが、子どもの体験格差の解消に取り組む公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン(CFC)です。西山卓郎さんは、実際に子どもたちと参画パートナー(体験プログラムを提供する地域の事業者)をつなぐ「地域コーディネーター」を発掘し、その活動環境を整備することで伴走支援の役割を果たしています。
西山さん
「業務としては、地域コーディネーターの皆さんが活動しやすい環境を考え、市の担当者や地域の事業者ともコミュニケーションを取って必要な支援や場づくりなどを整えています」
西山卓郎さん。長野を拠点に、東京・仙台・関西にいるCFCのメンバーと連携を図っている実際に子どもたちと地域の事業者をつなぐために活動する地域コーディネーターは、市内でさまざまな体験を提供する参画パートナー(地域の民間事業者やクラブ・サークル等)の開拓、地域資源を生かした新たなプログラムの開発、子どもたちがさまざまな選択肢から興味のある体験を選んでポイントを利用できるような環境の整備などを担当。現在は初年度から継続して5人の地域コーディネーターを配置しており、その一人が九里(くのり)美綺さんです。
九里美綺さん。長野県立大学在学中に「合同会社キキ」を共同創業し、同大大学院ソーシャル・イノベーション研究科で多様な領域の人々との協働や社会課題の解決など実践的な学びを修得九里さんはもともと若者向けのシェアハウス運営や長期実践型インターンシップの事業など、学生や若者のキャリア教育に携わってきました。そうした経験から、以前から知り合いであった西山さんから地域コーディネーターとして声をかけられ、関心を抱いて参画を決めたと言います。ほかにメンバーは、障がい者福祉や障がい児支援に取り組んできた人、若年者支援を行う人などで構成されており、それぞれが重なる部分を共有しながら得意な部分を生かしています。
九里さん
「障がいのある子どもたちや困窮家庭では、ただクーポンを配布するだけでは使いづらいという状況や、現在集まっている体験は小さいこどもたち向けのものが多く、小学校高学年から中学生ぐらいが好むものが少ないというバランスの問題があります。そうした一つひとつの改善すべき点を地域コーディネーターがそれぞれの職能を駆使して解決に向かっています」
丁寧なヒアリングから実現した新たなイベントのかたち
九里さんがコーディネートをしているプログラムが、これまでの地域の人々や企業とのつながりを生かし、子どもたちがものづくり体験を楽しむマルシェイベント「こどものモール」です。当初はインターネットでの申請に慣れていないために、利用登録が難しい参画パートナーや、さまざまな体験が市内各地に広がっていることから交通手段などの問題で希望のプログラムに参加できない子どもに対し、まとまって多様な体験ができる環境をつくろうと始めたイベント。公共施設である県立長野図書館を会場にしたところ、さまざまな人が訪れやすいと好評を博しました。
県立図書館で開催した「こどものモール」
そこで図書館で3回の開催を経て、4回目は隣接する若里公園やホクト文化ホールを加えた3会場で音楽演奏、読み聞かせ、ワークショップ、謎解きゲームなどを楽しむイベント「わかさとクエスト」を合同開催。子どもの体験を軸に隣り合う施設同士の対話が広がり、地域の関係性も深まるという相乗効果も得られました。
西山さん
「この事業のいいところは、子どもの体験を真ん中に置き、地域の大人が集ってさまざまなことに関わったり、新しく何かが始まったりすることです。『こどものモール』や『わかさとクエスト』は目に見えるかたちで成果が見えたのは大きいですね」
「わかさとクエスト」
一方で、課題も少なくありません。例えば、本格始動した2年目の2024年度は、利用対象者(長野市在住の全小中学生)約2万7500人のうち、約8割の2万2400人ほどが登録し、実際にポイントを利用したのは約7割の1万8700人。担当者も、ポイントを使いたいけど使えない方へのアプローチが目下の目標だと語ります。
2024年度のデータを踏まえ「一人一人のお子さまに合った形で利用していただけるよう、まだまだ分析や工夫が必要」と話す山岸さん背景の一つには、障がい特性がある子どもの利用があります。実際に障がい児を育てる保護者からは、いわゆる健常児のためのプロジェクトとの認識から「うちは対象外だと思っていた」との声が多く届いたのだとか。そこで障がいがあっても安心して参加できる体験の場をつくろうと「こどものモール」も新たなかたちに変わっています。
当初は障がい児も参加しやすいよう、最初の1時間は少人数で体験できる時間とし、その後は誰でも参加できるインクルーシブなかたちで開催していましたが、それだけでは障がい児の保護者が参加を遠慮してしまう状況が見えたことから、複数回にわたって実際に保護者から参加にあたって不安なことやハードルになっていること、要望を丁寧に聞き出すヒアリング会を実施。その声を反映させるかたちで、2025年8月に「障がいのある子ども限定」で「こどものモール」を開催しました。
九里さん
「私たちは誰もが一緒に遊べる場がつくれたらいいと思っていましたが、障がいのある子の保護者からは『ほかの参加者に迷惑になるかもと思うと肩身が狭い』との声も聞かれました。そうした悲しい思いを抱く保護者がいる状態をまずはなくしたいと考え、障がい児に絞って企画することにしました」
西山さん
「ある保護者から『どういう機能がある場所なのか具体的に教えてほしい』との意見があったことは大きな学びでした。そこで予約不要で出入り自由であることや、会場の機能とプログラムの詳細など、障がい児も安心して参加、利用しやすい状況を明確に打ち出すようにしました」

開催場所は車椅子やバギーなどでも利用しやすいバリアフリー設計で、広いトイレがある会場を選び、駐車場からのアプローチも子どもの気が散るものを設置しないなど工夫。ものづくり体験のプログラムも完成まで時間がかかるものでなく、子どもたちの集中力や体力を考慮して短時間でできる小さな体験を増やしました。
その結果、これまで「みらいハッ!ケン」プロジェクトの存在は知っていても参加をためらっていた家族が利用する姿が見られたと言います。「きょうだい児(障がいや病気を抱える子どものきょうだい)も一緒に楽しめてよかった」「繰り返し気に入った体験で遊んでくれた」といった声も聞かれたとか。なかには会場の雰囲気が合わず駐車場から室内に入れない子もいたそうですが、それでも保護者からの「会場に来ることができただけでも満足」との声は九里さんの励みになっているようです。
九里さん
「振り返り会も経て、開催時期や駐車場などもう少し改善できる余地があると考え、今は新たな動きにつなげています」
西山さん
「今後は『こどものモール』での学びを参画パートナーにも還元していくことで、より多くの人が気軽に参加できるプログラムが増えていくといいなと思っています」
障がい児に限定した「こどものモール」
誰もが主体的に取り組める子育て支援でより豊かで持続可能な地域に
また、3年目を迎えて参画パートナー側にも変化が見られているのだとか。例えばパートナー同士の交流会を実施して各自の特技や困りごとを共有したことで、新たなプログラムが生まれていると言います。
西山さん
「僕らが直接介入しなくても、交流の場をつくることで何か発想が生まれてきそうだという手応えを3年目で得ています。それがもっと活発になることで多くの人に『みらいハッ!ケン』プロジェクトを知ってもらい、『私も参画パートナーとして参加してみよう』と思う人が少しでも出てくるとうれしいですね」
実際、もともとはポイント利用する保護者側だったものの、子どもとの体験参加を通じて、参画パートナーになった人もいるそうです。
西山さん
「僕らが想定していなかったこともいっぱい起きているので楽しいですよ。今後は『この場所を使っていい?』『うちも何かに使ってもらえない?』と、関わり方のさらなる広がりが生まれると面白いですね。結果として体験が豊かになり、プログラムのアクセシビリティが向上し、参加できる子どもが増え、将来的に“さまざまな体験ができて長野市は楽しい”という環境に子どもたちが気づくようになるといいなと思っています」
九里さん
「参画パートナーも『子どものために何かをやってあげよう』という目線だけではなく『自分も楽しく、子どもたちが喜んでいてうれしい』というモチベーションで関わってくれたらいいですし、その輪が広がっていく環境を生み出していきたいです」

さらに、体験プログラムを網羅した検索サイトを通じ、子どもたちが農業体験や味噌・おやき作りといった地域の伝統文化を知ったり、市街地と山間部の交流が生まれたりといった副次的な効果も見られつつあると山岸さんは話します。
山岸さん
「プロジェクトに登録した伝統工芸の工房の方から、『(登録を機に)工房のことを知らなかった方が体験をしに来た』という声もいただいています。そこから、この事業を活用し、地域活性化や文化活動と子どもたちをつなぐきっかけにしてもらうかたちも考えられそうです。このように子どもに携わる事業者だけでなく、長野市全体で子どもたちと関わって支援する構想がつくれたらと思っています」
西山さん
「僕が、この事業が好きなのは、多様な体験をした子どもたちが今後の人生で、初めて挑戦することへの不安感を面白さに変換できるようになるのではないかと考えられる点です。僕らの役割は、どのように皆でこの事業を面白がれる空気をつくれるかというところにあるように思います。コーディネートと事業者と地域の創意工夫で、『面白そう』につながることが大事だと感じています」

長期的には全ての子どもが希望するプログラムを提供できる環境を整え、将来、成長した子どもたちが長野市に愛着を持ち、参画パートナーとして体験を提供するようなビジョンが描けたら。そんな展望も抱きつつ、長野市らしい子育て支援が地域の文化・風土として根づくことに期待が高まります。
取材・文:島田浩美
撮影:内山温那
県立図書館で開催した「こどものモール」
「わかさとクエスト」
障がい児に限定した「こどものモール」













